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人事の秘密【一次選考通過作】
「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局通信
人事の秘密【一次選考通過作】
ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。
「なんか釈然としないんですよね」
竹沢哲郎の口調には、あからさまな不満がにじみ出ていた。仕事帰りに部下を連れて居酒屋に寄り、五日間の疲れを癒す金曜日の夜。近況報告と意見交換から、いつしか鬱憤開陳のひと時となる。
「釈然としないって、なにがだ?」
「人事ですよ。この会社の人事のいい加減さです」
入社三年目。仕事も一通り覚えて自信も芽生える。組織の矛盾や理不尽に目が向き始める頃でもある。遠い昔のことだが、上司である森山裕司にも経験がある。
「担当取締役が繊維や化学の出身でITのことを何にも知らないなんて、おかしいじゃないですか」。竹沢はビールのジョッキを一気に空けると、言い募った。
東証一部上場の武蔵商事。戦後生まれの中堅商社で、繊維製品や化学品をメイン商材として、大手商社の隙間を突くビジネスを展開し、堅実に成長してきた。
現在はベンチャーを対象とする投資事業が、収益の三割を占めている。
バブル崩壊で業績は落ち込んだ。森山が入社したころだ。その後、一九九五年ごろからインターネットや携帯電話などの新しい情報テクノロジーが台頭し、若い企業家が次々に登場した。武蔵商事も従来の卸売業を基軸にしながら、投資ビジネスに事業領域を広げた。森山も化学品の営業から投資事業部門に異動し、若いベンチャー経営者との人脈を築くことが仕事の中心になった。
いくつかの投資先が見事上場を果たして事業の基盤が整い、森山も一つの部門を任された。いまでは二〇人の部下を抱えている。竹沢は、そのひとりだった。
その言い分は、必ずしも間違っていない。いつまでたっても古い商社の体質を引きずり、レガシー・ビジネスから経営幹部が誕生する。
竹沢の憤りの対象は、投資事業の総責任者である東山取締役だ。長く化学品事業部門のリーダーを務め、そこでの功績を評価され、二年前に取締役になり、投資事業の担当となった。
ITについては、まったく知識がない。関心も薄い。だが、権力を誇示することは好きで、ときにきわめて理不尽な指示を下す。そのため、森山たちはいくつもの商機を失ってきた。
竹沢の不満はまだ続く。
「パワポも使えないIT事業責任者って、ありですかね」
「そんなもんは、お前らがやってやれよ」
「そのくせ化学メーカーの関係者との飲み会は連日連夜ですよ。こないだなんか"竹沢、ぐるなびって便利だなあ。投資対象にリストアップしたらどうだ"だって。とっくにIPOずみだっつーの」
「還暦に近い取締役が、ぐるなびで飲み屋選びできるだけいいじゃないか」
「なに言ってんですか。秘書にやらせてるんですよ。本人は見てるだけ!」
それもそうか。大企業の役員なんだから。
「まったく、取締役って適性とか関係なく選ばれるんですかね?」。その言葉に、だんだん遠慮がなくなってくる。
「まあ、そういうな。取締役は、マネジメント能力を評価されて選任されるわけだ。個別事業については、必ずしもくわしいわけじゃない」。森山の言葉は、まったく説得力を持たない。とはいえ、入社三年目の若者に同調ばかりはしていられない。
「相手がどうあれ、それを説得する材料を集めて、ロジックを考えるのがおれたちの仕事だろ」
きれいごとであることはわかっている。当然ながら、竹沢は一向に納得する様子がない。
「適性とかが関係ないなら、取締役なんて、くじ引きとか占いで決めりゃあいいんじゃないすか?」
最後は暴論になって、仕事の話はフェードアウトしていった。
「まあ、この会社の経営が柔軟性を失っていることはわかってるよ」。人事部長の谷村公平は、そう言った。「組織を活性化するような人事を検討しているところだ。少し時間をくれないか」
谷村部長は、森山が最初に配属された化学品営業部で世話になった先輩で、一〇歳ほど年長である。その後、異動し、人事のプロフェッショナルとして経験を積んできた。
「社長がそれを理解して、おれに組織人事案を任せてくれてる。ここがチャンスなんだ」
リーダーとしての適性は、過去の実績からでは把握しきれない。一方では、年功序列も無視しにくいのが企業の現実だ。ただ、そろそろ発想を大きく変えなければ、グローバル化の中で生き残れなくなる。谷村部長は、そんな風に説明した。
「いちばんよくないのは、取締役も事業部長も、気に入った人間を配下に抱え込んでしまうことだ。自分の言うことを聞く人材を手元に集めて、君臨するのが趣味というやつもいる。まあ、それはマネジャーの本能かもしれないんだが」
「でも、なんとか全体最適を図ってほしいですね」。森山はそう言った。
「そう。だから、それをやろうとしているわけだ。新しい方法論によってな」
それからおよそ半年後、かつてないほど大幅な人事異動が発令された。それは、驚くような内容だった。
一五の事業部門すべてで事業部長が交代していた。取締役も半分が入れ替わった。IT事業を担当する東山取締役は退任し、化学品を専業とするグループ会社の社長になった。
変化を嫌ってきたこの会社の幹部人事としては、ありえないような内容だった。変わることを期待していたことは確かだが、これほど変わるとは思わなかった。
「ちょっとやりすぎじゃないでしょうか」と竹沢までが首をひねった。「事業部門長は、みんな専門性とは関係なく動いているじゃないですか」
たとえばIT事業部は、経理部長が異動して事業部長になった。化学品事業部長にはIT事業部の次長が、経理部長には鉄鋼事業の事業部長が、人事部長には成熟し、低迷していた繊維事業を立て直した営業のエースが、それぞれ就任した。
「どの部門長もキャリアの連続性がない。これじゃ、がたがたになりますよ、この会社は」。竹沢はため息をついた。森山の目から見ても、それは大胆すぎる人事と映ったし、基本的な発想というか、ベースになるロジックがわからなかった。
しかし、この人事異動から半年たったころには、全社業績が目覚ましく向上し始めたのである。
新しいIT事業部長は自らも旺盛な好奇心で業界の知識を吸収し、森山たちのアイデアを次々に実行させたばかりでなく、長く経験を積んできた彼らも知らなかったような若い企業や新しい技術ジャンルに着目し、部員にアタックさせた。
経理部長は単なる経費カットではなく、社員のモチベーションを下げずに、しかし資金効率を大きく改善させるさまざまな手法を実行した。
人事部長はまったく未経験だったが、ポテンシャルの高い学生を囲い込むような採用イベントを実施し、学生人気企業ランキングのベスト二〇に入るまでになった。また部員の異動でも、本人の意思を尊重しながら、より能力を引き出すような部署への異動を積極的に実行した。
まさに人事の全体最適を実現することで、会社組織を構成する、あらゆる細胞が活性化し始めた観があった。
「いったい、どんなマジックを使ったんですか?」
取締役食料品事業部長になった谷村・前人事部長に森山は聞いた。
「それは企業秘密だな」。谷村はニヤリと笑った。「人事は結果がすべてだ。どうだ、文句はないだろ?」
* * *
武蔵商事人事部の一隅に、「開かずの間」と呼ばれる小部屋がある。異動を渋る社員が、そこで膝づめで恫喝まがいの説得をされて、承諾するまで出られない、などと噂されている。
しかし、本当のことは、誰も知らない。人事部の限られた部員を除いては。
その小部屋には大量の鹿の骨や、亀の甲羅が焦げて散乱している。
太占(ふとまに)=鹿の肩甲骨を焼いて、そのひび割れの形で今後の策を占うこと。時代が降ると亀卜にかわっていった。
(投稿者:間零)
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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。