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グェンさんのこと【一次選考通過作】

グェンさんのこと【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 「――グェンさんだ」

 思わず声に出ていた。眠気が一気に吹っ飛ぶ。目をこすってもう一度スマホを覗きこんだ。

 就活情報サイトの、会社紹介記事。ぼくが今バイトしている、このコンビニの運営会社。そこには、スーツ姿のグェンさんが、人懐こそうな柔らかい笑顔で写っている写真があった。

 ――そうそう。この人はこんな感じに笑うんだった。

 記事は、入社3年めの若手社員を何人か紹介するというものだ。新商品開発部門のマーケティング担当者、店舗を回って経営指導するスーパーバイザーときて、3人めに、ベトナム市場開拓の担当者として紹介されているのが、グェンさんだった。入社後、現場の店長を経て、本社でベトナム進出の準備に関わり、来年にはいよいよベトナムに赴任するらしい。女性ならではの細やかな視点で現地のニーズを汲み上げたい、みたいな抱負が書かれている。

 国際事業本部、かあ。すごいなあ。

 スマホを見ながら、休憩室の畳にゴロンと寝転がる。深夜のシフトは眠気との戦いだから、ふだんは休憩時間もあまり横にならないようにしているけど、このときはなぜかいたたまれないような気がして、つい横になってしまった。しばらくグェンさんの写真を眺めていたが、仰向けになっているとスマホといえど重い。手を下ろし、目を閉じる。深夜なのにセミの鳴き声が聞こえる。そういえば、あの夏の夜もそうだった――

 ぼくがグェンさんと初めて出会ったのは、5年前だった。この店で――そう、まさにこの店だ――ぼくがバイトを始めたとき、先輩としていろいろ教えてくれたのが彼女だった。ぼくたちは同じ大学院の同級生でもあって、だから学校に近いこの店をバイト先に選んだのだが、グェンさんはどこかの財団の奨学金でベトナムからこの大学に留学してきて、「もっと勉強を続けたいから」という理由でそのまま院に進学したのだったと思う。学部生のころからこの店でバイトをしていたから、ぼくと出会ったときには、バイトとしてはすでにベテランだったわけだ。

 一方ぼくは、別の大学を卒業してすぐ、この大学院に入った。就活がだめだったから、とりあえず大学院に進学したのだ。つまり、ぼくにとって大学院は、「逃げ」だった。親に相談したら、もう学費は出せないといわれた。学費を自分で稼がなければならなくなって、バイトを始めたのだった。

 グェンさんとぼくは、同級生だから受ける授業も割と似ていて、バイトのシフトもだいたい同じだった。そして何より、2人とも、金がなかった。生活の場も生活パターンもほぼ共通だから、進学の動機こそちがえど、ぼくたちはすぐに仲良くなった。

 バイト先では、グェンさんが実質的なリーダーとして、細かい作業の手順から店全体の運営に関することまで、ていねいに指導してくれた。ベトナムの高校で初めて学んだらしい日本語は、その時点で日常会話には何の問題もないくらい達者だったし、何より、周囲をよく見ている人だったから、オーナーの信頼も厚かった。オーナーはよく冗談混じりで「息子の嫁にほしい」とか言ってたけど、案外本気だったのかもしれない。

 一方、大学院では、ぼくがグェンさんにあれこれ聞かれてひたすら答える立場だった。学部生のころは勉強ばかりで、日本人の友だちがあまりいなかったらしい。日本語も、日常会話には十分でも、大学院の講義についていくのはさすがに苦労していた。漢字の読み方や慣用句の意味に始まって、日本の習慣や日本人のものの考え方、日本の政治経済や社会のしくみ、その他もろもろ。グェンさんの質問はとどまるところを知らなかった。

 (――田中さん、これは何ですか)

 当時何度となく聞いたグェンさんの声が頭によみがえる。日本企業の人事システムなんて、就活に失敗したぼくに聞く方がまちがってる、なんて思いながらも、一生懸命答えた。知らないことはいっしょに調べて考えた。意見がくいちがえば、とことん議論した。

 それはけっこう、楽しい時間だった。グェンさんはいつも、新しいことを知るのが楽しくてたまらないようすだった。それが移ったのかもしれない。そのときぼくは初めて「知的好奇心」ということばを実感したのだった。もう一度、あの頃みたいに――

 無理だ。

 久々に浮かび上がってきた妄想を瞬時に打ち消す。ぼくは当時と同じ店でアルバイトのまま。オーナーからは店長にならないかと誘われてるけど、いまいち踏ん切りがつかない。相変わらず就活サイトや転職サイトをチェックしてはいるけど、だんだん惰性のようになってきている。

 一方、グェンさんはもう、ぼくにはとても追いつけない遠いところに行ってしまった。本社の有望若手社員として、母国への進出を担う立場だ。どこでこんな差ができてしまったんだろう。グェンさんとぼくの、何がちがったんだろう。

 「交代でーす」

 そのとき、いきなり向井が入ってきて、思わず飛び起きた。
 「あれー寝てたんすか」
 向井が笑う。こいつも同じ大学院で、1学年下だった。大卒時の就職に失敗して院に進んだのも同じ。ぼくとちがうのは、修士号をとった後、そのまま博士課程に進学したことだ。このところほとんど学校に顔を出してなくて、ドロップアウト寸前らしいけど。

 そうだこいつもグェンさんを知ってるんだった。思い出して、さっきの記事を見せてみた。
 「んー?あー!いましたいました。グェンさんですよねー」
 どうやら覚えてはいるらしいが、あまり記憶は定かでないようだ。無理もない。向井がここのバイトを始めたのはぼくより1年遅くて、その後半年もしないうちにグェンさんは別の店に移ってしまったからだ。本社に内定して、入社前に店長としての経験を積むことになったのだったか。

 「やっぱ有利っすねーこういう国の人は」
 「え?」

 向井のコメントにぎょっとして、聞き返す。

 「だってベトナム人だからでしょ?ベトナムの仕事できるのは」
 「・・・んー・・そうなのか?」
 「そうっすよー。オレらじゃ望んでも絶対無理ですからねー。そもそも、こういう元気のいい国に生まれつかないと、こういうチャンスはありませんから」
 「・・・・・」
 「じゃ、休憩入りまーす」

 ――やっぱりそうなのだろうか。

 休憩に入った向井と交代してレジに立つ。深夜だから、当然、客はほとんど来ない。ぼーっとしながら、さっきの向井のことばを思い返す。「僕らじゃ望んでも絶対無理」なのだろうか。グェンさんはベトナム人だからチャンスを手にして、ぼくは日本人だからチャンスがなかったのだろうか。

 確かに、そういう部分はあるのかもしれない。今の日本はどう考えても就職難だ。大学を出ても、大学院を出ても、望む就職ができる人は少ない。海外に職を求める人もいるが、ことばの問題もあるし、実際にはなかなか難しい。

 一方ベトナム経済は、今、どんどん発展を続けている。仕事もたくさんありそうだ。ぼくは、日本人に生まれたのがまちがいだったのだろうか。ベトナムに生まれれば、グェンさんのように就職できて、面白い仕事を任されて、楽しく働くことができたのだろうか。

 (――田中さん、それはちがいます!)

 グェンさんの声が頭の中に響いた。今でもはっきりと覚えている、初めて聞いた怒鳴り声。いつも朗らかだったグェンさんが、一度だけ、ぼくが知る限りたった一度だけ、怒ったことがあった。

 修士2年の夏休み、バイト上がりに、廃棄になった賞味期限切れのパンを(こっそり)もらって、2人で近くの公園のベンチに座って食べていたときのことだ。真夏とはいえ、夜も10時をすぎると少しだけ風が涼しくなる。セミがうるさいぐらいに鳴いていた。

 そのときぼくたちは、日本での就職の厳しさを嘆いていたのだった。「お祈りメール」っていやだねえとか、なまじ修士をとるとかえって厳しいとか、よくある就活苦労話であれこれ盛り上がっていた。

 明るい話題ではなかったのに、ぼくはすごく気分が高揚していた。いっしょにすごす時間が長かった割に、グェンさんと2人で食事(と呼べるものかどうか別だが)をするのは初めてだったからだ。初めてのデートのような気分だった。

 ぼくが当たり前と思っている日本の人や社会のありようも、グェンさんにかかると不思議と驚きの連続になる。あのときも、就活の理不尽な体験をユーモアたっぷりに話す彼女の隣で、ぼくはひたすら笑い転げていた。そして同時に、グェンさんが話すときの、キラキラした瞳の輝きに目を奪われていたのだった。

 たぶんぼくは、あのとき、グェンさんとの間に何らかの「進展」が起こることを期待していたのだと思う。グェンさんも、まんざらではないようにみえた。少なくとも、ぼくのあの一言が、すべてをぶちこわしてしまうまでは。

 (――ベトナムみたいに元気のいいい国に生まれついたのはラッキーだよね)

 さっき向井が言ったのと同じようなことを、そのときぼくは言ってしまったのだった。ベトナムから来た、グェンさんに。

 (――田中さん、それはちがいます!)

 あっと思ったがもう遅かった。びっくりするぐらい大きな声でそう怒鳴ったグェンさんの目に、みるみる涙が浮かんできた。その後10秒ぐらい、キッと口を結んで黙っていたのは、きっと涙をこらえるためだったのだろう。セミの鳴き声だけが耳に響く。ぼくにはとてつもなく長く感じられた10秒だった。何か言おうと思ったが、何もことばが浮かんでこなかった。

 (・・・田中さん、私たちの国は、日本人がうらやましがるような国ではありません)

 沈黙の後、グェンさんは視線を落として、静かに話し始めた。ぼくに話しているというより、自分に言い聞かせているようにみえた。

 (産業の発達もまだ遅れています。貧しい人たちもたくさんいます。私の家族も、豊かではありません。でも、苦労して、私を学校に入れてくれました。だから私は、今ここにいられるのです。でも私の友だちは、私よりずっと勉強ができたのに、上の学校に行くことができませんでした。私の父には弟が2人いましたが、2人とも、小さいころにアメリカ軍の爆撃で亡くなりました)

 そうだった。確かベトナムの発展はドイモイ政策以降だからせいぜいこの20~30年ぐらいのことだ。1人あたりGDPは日本の30分の1程度しかない。都市部はだいぶ発展してきたけれど、地方に行けばまだまだといった状況らしい。世界3位の経済大国の人にうらやましがられるいわれなどないといえばその通りだ。

 だけど。

 たとえ貧しくても苦しくても、希望がある。向かうべき目標がある。何より、若い労働力を欲しがっているじゃないか。日本はそうじゃない。豊かだけど、希望も目標もない。正直いって、ベトナムみたいにどんどん発展してる国に生まれつかないと、チャンスはないんじゃないかと思う。それはぼくのせいじゃない。ぼくもベトナム人だったらよかったのに。思わずそう言い返していた。

 グェンさんは、驚いたように目を見開いてしばらくの間ぼくを見つめていたが、やがてまた視線を落とした。そして、ぼくの話を無視するかのように、続けた。

 (でもね、田中さん。私は、だから日本の方が恵まれている、と言いたいわけじゃありません)

 え、と思った。何を言いたいんだろう。ぼくはグェンさんの横顔を見つめる。グェンさんは視線を落としたままだ。グェンさんのこんなに冷たい表情を見るのは初めてだった。

 (それぞれの国には、それぞれいいところと悪いところがあります。同じように、私たちにも、人より得意なところ、不得意なところがあります)

 その通りだ。でもその点なら、グェンさんにかなうところは、ぼくには1つもない。グェンさんは、ベトナム語と日本語の他、英語とフランス語もかなりできる。少なくともぼくの英語よりずっとうまい。大学院での成績もぼくよりずっとよかった。頭の回転も早いし、ものごとによく気づく。チャンスだけじゃなくて、能力にも恵まれているわけだ。

 あの当時も、そういう差があることは認識していた。ぼくはグェンさんにはぜったいかなわない。たとえチャンスがあったとしても、ぼくには能力がないから、届かないと思う。ぼくはそう言った。

 (そうじゃないんです、田中さん)

 でもグェンさんは、それは問題じゃない、と言った。

 (与えられたチャンスや能力には、差があるでしょう。でも、その、与えられたものをどれだけ伸ばそうとするか、与えられた中でどれだけがんばるかは、自分で決めることなんです)

 自己責任論かな、とそのときは思った。そういう物言いをする人はたくさんいる。特に年配の人たち。安定が保証された立場から、なんか上から目線で、今の若い者は努力が足りない、とかいう。すごく癇に障る。グェンさんもそんな言い方をするのかな、と思ったら、少しちがっていた。

 (がんばる人の方がえらい、というわけではありません。それは自分で決めることです。何ができるかも、チャンスや能力によってちがうでしょう。それも当たり前のことです。私の弟や妹たちは、学校では私と同じぐらい勉強ができましたが、今はホーチミンの工場で働いています。いとこは、レストランで皿洗いをしています。それはそれでいいんです)

 でも、誰だって、給料が高い仕事、社会的地位の高い仕事に就きたいだろう。特に、一定の教育を受けていれば、それを活かしたいと思うのは当然だ。ぼくは、大学院で勉強したことを活かせる仕事に就きたかった。でもそれはかなわなかった。それなのに、「それでいい」なんて、ぼくにはコンビニのバイトがお似合いだということなのか?

 (私は、たまたま、与えられたチャンスをうまく活かせたから、今ここにいます。でも、私にも、かなわなかった夢がありました。誰でも、望んでもかなわないことはあります。けど、それをがんばらない理由にするのは変です。別にがんばらないと決めたのなら、それでもいいですけど、自分でがんばらないと決めたのに、それを他の誰かのせいにするのはおかしいです)

 グェンさんの言っていることはよくわからなかった。ぼくは高望みしすぎたということなのか。そりゃそうかもしれない。でも、それってグェンさんが怒ることなのか?なんでそんなこと言われなきゃいけないんだろう。大きなお世話じゃないか。

 (田中さん)

 ふと呼びかけられて顔を上げると、グェンさんがまっすぐにこちらを見ていた。それまで見たこともない、悲しげな顔。目が潤んでいた。

 (田中さんが、自分で思うほど能力やチャンスに恵まれなかったとしても、田中さんは私にとって大切な人です。田中さんががんばると決めたのなら、私は応援します。田中さんががんばらないと決めたのなら、それでもいいと思います。でも、・・・自分で選んだことを、他人のせいにしてほしくはなかったです)

 グェンさんは悲しそうだった。それは、ぼくへの期待が裏切られたことへの失望だったのだろう。ぼくにとってグェンさんが大切な人であったのと同じように、グェンさんにとってもぼくは、大切な人であったらしい。なぜそれまで気づかなかったのだろうか。

 (なんとも思っていない人が何を言っても、気にしません。でも、・・・田中さんには、・・・田中さんにだけは・・・)

 喉がカラカラに乾いていた。何か言おうとしたが、口は動かなかった。たぶん、何も言えることはなかったのだろう。そのときはもう、はっきりわかっていた。ぼくとグェンさんの間にあった何か、ぼくが本当は心底望んでいた何かが、永遠に失われてしまったのだと。

 グェンさんはふっと一息つくと、ちょっとこわばった表情のまま、ニッコリと笑った。ぞっとするほと冷たい笑顔だった。そして「遅くなったので帰ります。お休みなさい」と言い残し、すたすたと歩き去った。一度も振り返らなかった。ぼくは声をかけることも、その場を動くこともできなかった――

 「・・・あのー」

 はっと気づくと、レジ前に若いカップルが立っていた。あわてて目の前のビール2本とポテトチップをレジに通し、袋に入れて代金のやりとりをする。さっき誰もいなかった店内には、本の立ち読みが1人、お菓子の前に2人。そろそろ雑誌の入れ替えもしなきゃ。これが今の、ぼくの日常だ。

 あの夏の夜以来、グェンさんと話をすることはなかった。話しかけても、事務的な話以外には一切答えてくれなかった。そしてほどなく、彼女は内定を得て、別の店舗に移っていったのだった。そして今では会社が命運をかける国際展開を担う重要な立場だ。

 一方ぼくは、あのときのバイトのまま。何も変わっていない。このままずっとバイト暮らしなのかな。あと少しすれば30歳になる。就職はさらに難しくなるだろう。いずれにせよ、グェンさんに追いつくことはもうできない。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。ぼくの人生に意味などないんじゃないか。

 (そうじゃないんです、田中さん)

 グェンさんの声が聞こえたような気がした。こっそりスマホを取り出す。就活サイトの記事に出ていた彼女は、ぼくたちが毎日いっしょにいたころと同じように、柔らかい笑顔だった。ぼくが最後に見たあの冷たい笑顔が、書き換えられていく。

 「与えられたチャンスや能力には、差があるでしょう。でも、それをどれだけ活かすかは、皆さん次第です。自分の中でのベストをめざしてください」

 グェンさんは記事の最後で、就活生へのアドバイスとして、そう語っていた。彼女は、少しも変わっていない。今、ぼくの心の中のグェンさんも、あの夏の夜の悲しげな声ではなく、柔らかい声で、語りかけてくれている。

 (与えられたものをどれだけ伸ばそうとするか、与えられた中でどれだけがんばるかは、自分で決めることなんです)

 雑誌の入れ替えをしながら、だんだん気分が軽くなってくるのを感じた。そう。自分で決めるのだ。ぼくに与えられた能力はグェンさんのように高くない。この社会にはチャンスもあまり多くはない。でも、それを言い訳にはしたくない。

 今のぼくにできることはそう多くないだろうが、ぼくはぼくのできることをしよう。グェンさんが彼女の全力を尽くして働いているように、ぼくも全力を尽くして、ぼくの仕事をしよう。そして少しずつでも、ぼくのできることを増やしていこう。

 グェンさんには追いつけないかもしれないけど、そんなことはどうでもいい。これはぼく自身のためだ。そして、今はまだいないけど、将来ぼくが大切に思う誰かができたときのためでもある。その人に、あのときのグェンさんのような悲しい顔をさせたくない。

 とりあえず今できるのは、店長になることかな。朝になったらオーナーに聞いてみるか。

 雑誌の入れ替えが終わった。手を休めて、店の外に出てみる。
 ひんやりした空気に、思わず深呼吸する。
 東の空がもうすっかり明るくなっていた。

(投稿者:やくじまちひろ)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。