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必ず戻ってくるからな!【一次選考通過作】

必ず戻ってくるからな!【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


■1.他人の手

 名前は加藤利明、26歳。独身・彼女なし。いいな、と思った女性に声をかける勇気もなく、仕事に行っては帰るだけの毎日を過ごしている、そんな僕がある日、酒臭いオッサン達であふれた終電を耐えしのいで、ようやく下車駅にたどり着いてみるとそこは大雨だった。

 「雨かよ・・・・・」

 天と地に向かって悪態の1つも投げつけたい気分が、財布を探った途端に萎えていく。現金はビニール傘ひとつ買うにも足りない。キャッシュカードは家に忘れていた。しかたがない・・・・。そのとき、僕の頭は考えることをやめていた。
 何の覚悟もなく、僕は激しい雨の中に踏み出した。あっという間にスーツが水を吸い込んで身体に重くまとわりついた。

 ・・・・・・酔っ払っていたわけでもないのに、それからの記憶が無い。
 気がついたらアパートの中で僕はTVを見ながら座っていた。午前1時。目の前のグラスには飲みかけのサイダーが入っていた。糖分のおかげで意識を取り戻したのかもしれない。
 ずぶ濡れのスーツは壁に掛かっていた。その下には水を受けるための新聞紙まで敷いてある。記憶は無いけれどまともに帰り着いて、やることはやっていたらしい。

 「はは・・・すごいな俺って。無意識でもここまでやっちゃうんだな」

 自分で自分を褒めてみた、その言葉は宙に消えていった。やさしい彼女が欲しくなるのはこんな時なのだろう。
 ふと、僕は両手に目を落とし、握りしめて開く動作を何度か繰り返した。まるで他人の手のような気がする。部屋の中を見回してみた。いつも通りの僕の部屋だ。何も変わってはいない。けれど、現実感がない。確かに目の前にあるはずなのに、夢の中のように見える。

 「疲れてる・・・んだろうな」

 わかりきったことを言ってもなんの解決にもならない。後から思えば、この時の僕はやっぱりどこかおかしくなっていたのだろう。疲れているならさっさと寝てしまえばいいはずだった。けれどそれさえしないままで僕はぼんやりと座っていた。
 どのぐらいそうしていたのかはわからない。さすがにもう寝よう、と思った僕は残っていたサイダーを飲み干した。

 「冷たい・・・うめえ!!」

 つかんだグラスが手のひらの熱を急速に奪い取ってゆく。グラスを顔につけてみた。目が覚めた。すると、TVの音が聞こえてきた。カラフルな服を着た女性が聞き取りにくい英語を話している。インド人らしい。

 「あいつ、どうしてるかな・・・」

 インドにいる親友のことを思い出した。日本との時差は3.5時間。向こうはまだ10時前だ。僕はそいつに電話をしてみることにした。彼は2年前からインドで働いている。

 思えば、それが僕の人生の転機だったのだろう。たまたま意識を取り戻したそのとき、TVをつけていなかったら、違う番組を見ていたら、インド人が話していなかったら・・・僕は彼に電話をすることもなく、次の日も、その次の日も現実感のない世界を生きていたはずだ。いや、生きていなかったかもしれない。そんな気がする。


■2.ムンバイ

 4日後、僕はインド西部のムンバイ国際空港にいた。ムンバイはインド第一の商工業都市。荷物を受け取ってゲートを出ると、日焼けした長身の男が飛び跳ねるように近づいてきた。

 「トシ! よく来たな! 久しぶり!」
 「いや・・悪いね、ケン。急に来ちゃって」

 宮田健司というのが彼の名前だった。普段はお互いにケン、トシと呼んでいる。

 「何言ってんだ、いつでも大歓迎だよ! じゃあ、行こうぜ」

 誰にでもこんな調子で話すんだろうけれど、悪い気はしない。彼はそんな男だった。僕とは違って如才なく人のふところに入り込むのがうまい。誰とでもすぐに仲良くなるし、腐りかけたものを食べても平然としている丈夫な胃袋を持っている。だから僕は健司がインドに行くと聞いたとき、何も心配しなかった。僕は無理だけれどアイツの生命力なら出来るだろう、そう思った。

 「荷物持つよ」
 「あ、いや大丈夫」
 「長旅で疲れてんだろ? 任せろって」

 と言うなり、健司は僕のバッグをつかみ、スーツケースを押して歩き出した。何の重さも感じていないように軽快な姿も相変わらず。・・・まったく、この体育会系野郎めが。
 彼は高校まで剣道をやっていた。大学でも剣道部に入るものと僕は思っていたのだけれどなぜかそうせず、代わりにいくつもの町道場をハシゴして剣道だけでなく柔道、空手に合気道そしてボクシングといくつもの格闘系競技をやっていたらしい。僕には、「他にもいろいろやってみたくてさ。違うスポーツやると勉強になるよ。同じ種目でも道場が違えばやり方がずいぶん違うし、面白いぜ」と言っていた。何が面白いのかは、ひ弱な俺にはわからない。確かなのは健司と喧嘩するならピストルが必要だということだ。インド人にはきっと「サムライ宮田!」と呼ばれているんじゃないかな。

 そんな健司と僕のつきあいは小学校以来、20年ほどにもなる。子供の頃は、いけ好かない野郎だった。あの事件があるまでは。


■3.吹雪

 僕と健司が幼少時代を過ごしたのは、冬になると雪に閉ざされる北国の農村だった。人が少ないから小学校は1学年1クラスしかない。当然鉄道はないし、バスも少ないから、どこに行くにも車がいる。地域の住民は何代も前から誰がどこに住んでいるかをよく知っていて、ヒマさえあれば噂話に花を咲かす。"鈴木の家で子犬が生まれた" とか、"近藤の息子が新車を買った" とか、そんなたわいのない話だけならともかく、根も葉もない中傷にあたる噂話が事実のように触れ回られていることも多い。旅行者で行く分には分からないし、TV番組には出てこない、こういう田舎社会の暗部を都会の人間はほとんど知らない。

 そんな土地で僕は小学校に通い、クラスの中で完全に浮いていた。友達は一人もいなかった。行けと言われるから学校に通っているだけで、暇さえあれば図書室で本を読んでいた。科学の歴史を切り開いてきた偉人の話。新幹線の話。瀬戸大橋の話。文明とエネルギーの話。シートン動物記。恐竜の世紀。宇宙開発。SFと推理小説とファンタジー。読んでさえいれば時間を忘れられた。本の向こうには僕の知らない世界があった。
 そうして本を読みふけっていたからかどうか、学校の成績は良かった。べつに、勉強していたわけではない。ただ好きな本を読んでいただけだ。それでも国語も理科も算数も社会もいつもダントツの一番だった。それがかえって僕を学校で孤立させていったのだろう。

 「どこかに、行ってしまいたい」

 いつか僕はそう思うようになっていた。ここではないどこかに。学校にも家にもいたくない。ここではないどこかに行ってしまいたい。
 小学校の卒業を控えた6年生の3月初めのある日、放課後僕は家に帰らずに学校の裏手のちょっとした小山が連なる丘陵地帯に足を踏み入れた。なにも家出をするつもりではなく、ちょっと寄り道をしようと思ったのだ。誰もいないところへ。変わり者という目で見られずに済むところへ。

 その日は晴れていたが、このあたりは3月でも雪が降る。僕は積もった雪を踏みしめながら歩いていった。この雪は4月までは溶けずに残る。一歩足を踏み出すと膝下まで雪に埋もれるから、少しずつでなければ進めない。それが雪国の冬の大地。除雪されていない道は歩くだけで体力を消耗する。だから、こんな何もない裏山にわざわざ来る奴は誰もいない。
 ・・・いないはずだった。ところが。

 「おーい! どこ行くんだよ!」

 と後ろから呼ぶ声がする。誰だ?
 振り返ると、50メートルほど後をついてくる、ランドセルを背負った姿があった。それが当時同じクラスにいた健司だった。

 ・・・どうしてこいつがいるんだ? あっという間に気が重くなった。

 健司はいわゆる「クラスの人気者」だった。運動が出来て話がうまく、そいつの動きでその場の「空気」が決まっていく、そんな奴がどのクラスにも何人かいる、そんなタイプで正直僕は苦手だった。健司のグループの話題には僕は入っていけない。話しかけられてもとっさに面白い答えは返せない。そんなことが続くと自然に疎遠になっていく。一人で図書室にこもる僕と、教室や校庭で大声を上げて遊ぶ健司達とは別な世界の住人だった。

 「どこだっていいだろう。帰れよ」

 と、一応返事はしてみたけれど、遠すぎて健司には聞こえなかったはずだ。僕にはあいつみたいなバカでかい声は出せない。
 ほっといて僕はまた歩き出した。せっかく誰もいないところでぼーっとしようと思ったのに、なんでよりによってこのおしゃべり野郎が来るんだ?

 なのに、あいつ、帰らない。ずっと僕の後ろをついてきた。
 しかもだんだん近づいてくる。あたりまえではあった。こういう雪原を先頭で歩くのはペースが出ないのだ。2番手以降は前の足跡をたどっていけるから楽になる。

 「おい、待てってば。どこまで行くんだよ? 帰れなくなるぞ」
 とうとうすぐ後ろに来た健司が言った。
 「僕の勝手だろう」
 「そりゃ勝手だけどよ・・・」

 健司にしては珍しい、気弱な口調だった。しかもその目には困ったような表情が浮かんでいた。一人でさっさと帰ればいいのに、変な奴だな。と僕は自分を棚に上げてそう思った。
 それからしばらく、僕はそのまま歩き続けた。健司が後ろについてくるのは気にしないことにした。歩いて、歩いて、ふと立ち止まったその時、健司がスーッと僕の前に出て行った。

 「俺が前歩くよ」

 余計なことをするな、と言いかけたけれどその間にも彼は進んでいく。確かに、道なき雪原を歩くのは2番手のほうが楽なのだ。そして僕は疲れていた。健司のほうが体力はある。誰もいないところへ行きたい、という思いには反するけれど、助かった。
 そのうち彼は「飲めよ」と言ってペットボトルを差し出した。炭酸飲料のボトルだったけれど中身はただの水だった。水筒代わりに使っているらしい。ただの水がこんなに美味いと思ったことはなかった。

 そうして歩き続けて僕たちは小さな丘の上に出た。
 その目の前に、見渡す限り何もない、遙か遠く遠くまで見通せる真っ白な原野が広がっていた。傾いた太陽が沈んでいく、ちょうどそのあたりに、遠すぎて見えないけれどこの地方の中核都市があるはずだった。そこには大学があり、工場があり、幹線道路があり、ターミナル駅があり、本屋があるはずだった。小学生だった僕のまだ知らない世界。ここではない、どこか。今はまだ、行けない。

 「キレイだな・・・・」

 と健司がつぶやく。そろそろ夕焼けになる。赤みを帯びた太陽の下を、着陸態勢に入った飛行機が高度を下げてゆく。

 「・・・・帰ろう」

 と僕は健司に声をかけた。ずいぶん遠くまで来てしまった。家に帰るには、来た道を戻るよりも、少し南に向かって歩くほうが近いはずだった。

 そう思って近道を行こうとしたのが失敗だった。僕達は迷ってしまった。冬の日が落ちるのは早いしこのあたりには街灯もない。あっという間に周囲は真っ暗になった。小学生が携帯を持っているような時代でもなく、助けも呼べない。悪いことにさっきまでは晴れていたのに雪まで降り出し、風も出てきた。

 まずい。吹雪の中に取り残されるのは、とても危険だ。当時小学生でまだ何も知らなかった僕も猛烈な不安に襲われた。
 幸運だったのは、健司が小さな懐中電灯を持っていたことだった。どうしてそんなものを持っていたのか、変わった奴だ。なんにしても灯りがあることで、少しは落ち着くことができた。そしてもっと幸運だったのは、放棄された山小屋のような廃屋が見つかったことだった。荒れ果てた小屋だったけれど風はしのげる。これがなかったら本当に危なかったろう。

 僕達は小屋の中で吹雪が止むのを待つことにした。雪が止めば、視界が広がる。そうすれば村の家の灯を見つけられるかもしれない。なんとかそれまでしのぐことにしよう。そうしているうちに、大人が探しに来てくれる可能性もある。

 「・・・ごめん」
 一応、謝ってみた。
 「え? なんで?」と健司。
 「こんなことになって。悪いと思ってる」
 「ああ、そんなこと。いいよ別に俺が勝手についてきただけだし。それより・・・」

 そういうと健司は意外な話題を持ち出してきた。

 「利明ってさ、この前スペースシャトルの本、読んでたろ」
 「読んでたけど」
 「宇宙とかロケットとかああいうの、好きなんか?」
 「うん。だから、よく読んでる」
 「そっか・・・いや、実は俺も」

 意外なことに健司もその頃宇宙に興味を持っていたらしい。それから僕達は知っている限りの宇宙の話をしまくった。スペースシャトル、ハッブル宇宙望遠鏡、H-IIロケット、アポロ計画、ボイジャー計画・・・喋る時間はいくらでもあった。吹雪が止むまでは何もすることがないのだ。

 話しながら「面白いよな、すげえよな」と健司は何度も言った。普段、彼は仲のいい男子数人のグループで行動していた。しかし、「ダメダメ、あいつらこういう話、全然興味ないって」ということだった。だから、1週間ぐらい前に僕が宇宙ものの本を読んでいるのを見かけたときから、話をしてみたかったらしい。ところが僕はいつも一人で黙々としていて声をかけづらいし、健司には何かといつもの仲間が声をかけてくるからついその相手をしてしまう、というわけでなかなか話す機会がなかったのだという。

 「うちの学校でこんな話できるとは思わなかったよ。すげえ、楽しい。よかった」と彼は言う。どうしてか、僕も嬉しくなった。いけ好かない野郎、なんて思ってて悪かったよ。話していて、楽しい、と言われたのは初めてだった。

 そうこうするうちに、グウウウ、という音が鳴った。そりゃあ、腹が減るのは当たり前だ。すると健司が「これ食おうぜ」といってチョコレートを出してきた。水に懐中電灯にチョコレートに・・・

 「おまえのランドセルはサバイバルキットかよ!」

 と思わずツッコミを入れてしまった。言ってしまってから自分で驚いた。冗談だよな、これ。軽い気持ちでジョークを飛ばしたのが自分でも信じられなかった。友達もなく、一人で本を読んでばかりいた僕はこのころ、聞かれたことに答える以外はほとんど口をきいていなかった。そんな小学生がいるわけないだろう! と思われるかもしれないが事実そうだったのだ。冗談が言えるとは自分でも思っていなかった。

 「おう、そうとも。すげーだろ。ギャハハ」と健司はそう笑ってチョコレートを半分くれた。 ・・・・なんなんだろう。不思議な気持ちだった。ほっとして、僕はチョコレートを食べた。美味い・・・・

 けれど、一難去ってまた一難。僕は、身体がぶるぶる震え始めたのに気がついた。どうやら熱も出ているらしい。風邪でも引いたのか。

 「どうした? 大丈夫か?」と聞く健司に、大丈夫、なんともない、と答えてはみたけれど、歯の根が合わないぐらいに震えが来ている状態でごまかせるわけもない。熱があるのもすぐにばれた。けれど何か薬があるわけでもない。いるのは僕たち2人だけ。何も出来ることはない。
 ・・・・とは思わないのが、今から思えば健司らしいところだった。懐中電灯の明かりを頼りに彼は小屋の中から古新聞の束を見つけ出してきた。こんなところで新聞を取っていたとも思えないので、何かに使うために誰かが他所から持ち込んできたものだったのだろう。数ヶ月分はありそうな量だった。

 「うん、乾いてる」そう言うと彼はその古新聞をくしゃくしゃにして部屋の隅に積み上げ始めた。つまり、布団にしようというわけだ。僕はおとなしくその古新聞布団の中に転がり込んだ。上からも新聞をかけてもらうとずいぶん温かくなった。

 「どう?」
 「うん。あったかい。新聞って便利だね」
 「よし・・・」

 そして彼はあのセリフを口にしたのだ。

 「助けを呼んでくる」
 「え? 本気?」
 「必ず戻ってくるから、待ってろ」
 「危ないよ。外はまだ・・・」

 雪国の吹雪はホワイト・クリスマスでイメージするようなロマンチックなものではない。世界を白一色に塗りつぶして人を迷わし、猛烈な寒さで人の体温を急激に奪い去る、死の世界への入り口だ。防寒着を着てはいても、決して油断できない。まして夜では・・・・

 「大丈夫。もう雪は止んでる」
 「でも・・・」

 雪が止めば視界が開ける。それはそうだけれどまだ風は強いし雪はいつまた降り出すかもわからない。「心配すんな! 俺はサバイバルの達人なんだよ!」と彼は言ったが、小学生のくせに達人もクソもあるか。そうツッコもうとしたらあの野郎、

 「俺の目を見ろ! 嘘じゃねえよ!」

 と言って懐中電灯で顔を下から照らしやがった。おいおいやめろよおまえ、お化け屋敷じゃねえだろ、ここは・・・・
 不覚にも爆笑してしまった僕はもう反対しなかった。こいつならなんとかするんじゃないかという気がしたのだ。

 「必ず戻ってくるからな!」

 もう一度そう言ってあいつは外へ出て行った。
 ああ、戻って来いよ、ロケットの話まだ終わってないからな・・・
 そして暗闇の中で僕は意識を失った。

  ★  ★  ★

 目が覚めたのは、病院のベッドの上だった。
 後で聞くところによると、健司はその言葉通り人家を見つけてたどり着き、救助の車を案内してきたらしい。高熱を出していた僕はそのまま病院に運ばれ、目を覚ましたのは翌日の昼だった。熱はすぐ下がって、2日目に退院したときはもうピンピンしていた。

 それから、僕らは親友になった。2人で担任教師のAに怒られたけれど、どちらもなんとも思わなかった。Aが怒っているのは自分のクラスで「問題」が起きたからであって、僕らの身を案じたからではない、というのは2人ともよく分かっていた。どうせもうすぐ卒業する。Aともすぐに縁が切れる。こんな馬鹿は好きに怒らせておけばいい。怒るだけ怒った後で、反省しています、もうしません、と殊勝な態度を見せてやればそれで満足する、そんな奴だ。Aがそんな底の浅い大人だということぐらい、僕らはみんな見抜いていた。
 だからこそ、僕は「ここではない、どこか」へ行ってしまいたいと思っていたのだろう。


■4.猛暑

 その吹雪の遭難事件から14年後、僕らはムンバイ国際空港を出て、健司が住む部屋に荷を下ろしていた。何か食べよう、ということで夕方になると路上に現れる屋台でDahi Puri と Shev Puri というスナックを買った。甘さと辛さの絶妙なとりあわせは癖になりそうな味だった。
 健司は大学卒業後、商社に入って2年間働き、その上司がインドで新しい会社を作るというのについていって2年前から当地を本拠に働いている。
 僕は機械工学で大学院に進んで修士を取ったあと、ITの会社に入ってシステム・エンジニアの卵として修行中だった。一応は。

 「やっぱりインドは暑いね」
 「まあな。でもここに住んでるとこれが普通だからな。もう慣れたよ」

 6月のムンバイの平均最高気温は31度、東京の8月のようなものだ。逆に7月8月には雨が多いこともあって気温はやや下がるらしい。「その代わり、雨の降り方はすさまじいぜ」と健司はいう。僕が行った6月は乾季から雨季に変わろうとしている時期だった。

 「それにしても久しぶりだよな、トシ。最近、調子どう?」
 「死ぬほど忙しいよ」
 「いろいろ大変そうだな。それにしても・・・ちょっと太ったんじゃねえの?」
 「・・・まあ、ちょっとね」

 適当に流したけれど、毎日終電近くまで働いて運動不足な上に、夜中にストレス食いしてたらそりゃあ太るって。

 「せっかくインドまで来たんだし、とりあえず仕事忘れてのんびりしなよ」
 「そうだなあ・・・」

 健司の部屋の窓からムンバイの市街地が見える。窓を開けると熱気がぬるりと入り込んできた。違う空気。違う言葉。違う植物。違う人々。ここは、東京ではない場所だった。

 「ケン、僕が電話かけたとき、声聞いてどう思った?」
 「うぉっこの野郎久しぶりじゃねーか、 待ってたぜ! かな」
 「そういうこと聞いてるんじゃなくて・・・」
 「んー、まあ、なんか元気なさそうだなとは思ったね」
 「やっぱり?」
 「ああ。えれー疲れてんなあって感じ。だから、いっぺんこっち来ねえかって誘ったわけよ」

 やっぱりそうだったのか。
 それから、僕はあの日のことを話した。毎日深夜まで仕事をしていたこと。大雨の中、家まで帰った記憶が無いこと。現実感がないまま呆然としていたこと。
 ひととおり話したところで健司は言った。

 「なんか聞いてると、うつ病になってもおかしくないんじゃないか?」
 「え? うつ病? 僕が?」
 「俺も素人だから、はっきりしたことはわかんねえよ。でもな・・・」

 彼が言うには、休む間もない長時間労働で仕事のストレスに追いまくられるというのはうつ病の温床なんだそうだ。そして、「現実感がない」というのも、うつ病にともなってしばしば起こる症状の中にあるらしい。考えたこともなかった。でも、彼はどうしてそんなことを知っているんだろう?

 「今の社長からいろいろ聞かされたよ。日本で仕事をしてたとき、同僚がうつになって死んで・・・自殺してしまったって。そのとき何も出来なかったことがすごい後悔になってるって。で、二度とそんな後悔したくないって勉強したらしいんだ。それを教えてくれたから」
 「そうだったのか・・・」
 「それと、結構いるんだよ、仕事で抱えたストレスから逃げるみたいにインドに流れてくる日本人がさ。俺みたいなビジネスでいる人間とはあんま接点ないけど、それでもちらほら話は聞いててね。本当にうつになっちゃった人は行動起こす気力も無いからここまで来ないんだけど、一歩手前で逃げてきた、みたいな人は来るんだよ。そんな人から、うつ気味のときはどうなるかって聞いたこともある」

 一歩手前で逃げてきた、のは僕かもしれない。逃げてきた、のか・・・・

 「どう? 今は現実感ないなんてことないだろ?」
 「ああ、問題ないよ。大丈夫」

 Dahi Puriの空き皿を僕は手の中で握りつぶしてみた。うん。大丈夫だ。
 そのとき、彼がまた発した言葉に僕は答えられなかった。

 「東京、戻りたいか?」

 どうしてそんなことを聞いてくるんだろう、と僕は思ったけれど、それは「戻りたくない」と言えないからだった。戻りたくないと言っても他に戻る場所もない。無理矢理休みをとって来たけれど、仕事も残っている。思わず目をそらしてしまった。


■5.想定外

 「じゃあ今度は俺の仕事の話でも聞いてくれよ」

 と、少しの沈黙の後で健司は言った。

 「ケンは元気そうだね」
 「おう、元気バリバリ全開だぜ」
 「で、今どんな仕事してるの」
 「ああ、話すと長くなるけど、インドに進出したい外国企業のための研究開発支援ビジネスなんだ」

 商社出身らしく商品・資材の輸出入をしているとか、あるいはインドはIT大国だからITの開発とかサービスをやってる、というなら僕にも想像がついた。でも、研究開発支援? というのはイメージがわかない。

 「・・・・何? それ?」 と説明を求めた僕に、健司は全然違うことを言った。
 「そうだな、じゃあとりあえず・・・ビール取ってきてくれよ。隣の部屋の冷蔵庫に入ってるから」
 「おいおい僕に仕事させる気か? フツーは主人が客をもてなすもんじゃないのかよ! まあいいけど」
 「へへへ。まあ、行ってみりゃわかるから」

 健司と僕は長いつきあいなのでこういう応酬はいつものこと。健司がときどき予想の付かない妙なセリフを言うのも想定の範囲内。ただ、そのとき僕は「行ってみりゃわかるから」という言葉の意味に気がつかなかった。きっと日本ではなじみのないインドのビールが入ってるんだろう、どれがそうなのか当ててみやがれ、ぐらいの意味だと思っていた。

 隣室に入ると、冷蔵庫はすぐ見つかった。
 想定の範囲外だったのは、その扉が開かなかったことだ。

 「・・・・なんだ?」
 「開かないだろ(笑) ほら、これ使いな」
 「なんだこれ? ・・・・鍵?」

 いつの間にかすぐ後ろで健司は笑っていた。

 「インドの冷蔵庫ってな、鍵つきが多いんだよ」
 「そうなのか・・・・」

 冷蔵庫から出したキングフィッシャーというインドビールを飲みながら、健司は話してくれた。

 「子供や使用人が勝手に開けて盗み食いするのを防ぎたい、インドじゃそういうニーズがあるんだよ」
 「だから鍵つき?」
 「そういうこと。日本じゃ見たことないだろ?」
 「ないなあ・・・・」
 「そこでだ、今、インド市場に進出したい外国企業で、インドに研究開発拠点を置きたいと考えるところが増えてるんだな」
 「・・・・どうして?」まだピンと来なかった。
 「だってこんな鍵つき冷蔵庫のニーズなんて、日本にいたら想像もつかないだろ?」

 鍵つき冷蔵庫を売り出したメーカーも、社員をインドに数年住まわせて現地のニーズを徹底的に調べたのだそうだ。そして、「売れる鍵」ならぬ「鍵で売れる」ことを見つけ出した。
 結局のところ、商品は現地化しないと売れない。現地化するためには研究開発から現地でやったほうがいい。その「現地のニーズ」も経済発展によってどんどん変わる。商品サイクルの短期化もあって、変わるニーズにいち早く追随していかなければ間に合わない、そんな状況なのだという。
 しかも、通信回線の高速大容量化で地球の裏側とも気軽にTV会議ができる時代になった。企画書もソースコードも回路図も一瞬で送れる。「こんな商品を実現できるか」という問いに答えられる世界中のエキスパートの力を、インドからでも自由に使えるわけだ。
 だから、今大事なのは「こんな商品」という「こんな」の種をつかむこと。そのためには、それを使う現場で、使う人の現実を見て声を聞かなければ分からない。

 そのために、研究開発の現地化が進みつつある、と健司は言う。
 そこまでは分かった。
 じゃあ、それを支援する、というのはどういうことなのか。

 「まあ考えてもみなよ。研究開発拠点置くったって、一社でやるのは大変なんだよ」
 「・・・・」

 少し黙って考えてみた。研究開発をする、そして1つの商品を世に出すというのはどういうことなのか。現地の生活の中に溶け込んでニーズを探り、「こんな商品」というアイデアを見つける。そのアイデアを選別し育てるために、言葉にし、映像を作り、試作品を作り、人を集めてリサーチをかけ、競合・代替品を調べ、市場規模を予測し、事業計画を立てて・・・・

 「うん・・・・大変そうだなあ」
 「どのへんが大変だと思う?」
 「少しずついろいろな仕事が必要ってところかな。それぞれノウハウがあるだろうし・・・」
 「それだ! まさしくそこなんだよ。だけど、一社でその全部やれなくてもいいんだ。代行できる業者がいれば」
 「あ・・・・ああ、そうか!」
 「わかった? つまり、そういうこと」

 研究開発機能といっても、分解すればそれはさまざまなプロの仕事で成り立っている。その「さまざまなプロの仕事」の中で、インドに進出したい企業にとって手に回らない部分を集中的に提供することができれば、それはビジネスになる。
 そう考えた健司の上司、現社長が母体の商事会社を始め複数の投資家からの出資も得て専門の会社を立ち上げ、健司をそこに引き抜いた、というわけだ。

 「面白そうだな・・・・」

 ふっと口をついて出た言葉だった。

 「そう思うか?」
 「思うよ」

 その時、窓の外からパラパラという音が聞こえ始めた。

■6.豪雨

 「来たな・・・」と健司がつぶやいて窓を閉める。

 雨だった。
 パラパラと降り始めた雨は瞬く間にタタタタタと機関銃のような響きに変わり、そしてすぐに猛烈な土砂降りがやってきた。

 「うわ・・・・」
 「インド名物のスコールだよ。これから雨季になるから」

 東京では体験したことがないようなすさまじい豪雨だった。インドに来るきっかけになった大雨の夜の何倍もの勢いだったろう。すぐ側にいる健司の声も聞き取りにくくなるほどに。

 しばらくの間、僕と健司は黙って雨を見ていた。

 なんだろう・・・・
 こんなことが、以前にもあったような気がする。

 ああ。そうか。あれだ。

 「覚えてる? 小学校でさ」
 「・・・・あのときか? 吹雪の中で迷った」
 「そう。あれ。なんかあの吹雪を思い出すよ」
 「忘れるわけないだろ・・・あんときゃ、トシが熱出しちまってどうなるかと思ったもんなあ。ほんと、無事で良かった」

 あのときは吹雪。今は、雨。
 雨と雪の違いはあっても、5メートルも離れれば姿も見えないし声も聞こえない。目も耳も効かない、荒れ狂う「自然」と対峙させられているのは同じだった。
 いや・・・・

 「まあ、こっちは雨だから、取り残されても死なないよね」
 「凍死はしないだろうけど・・・・」

 と言い始めた健司の横顔は妙に静かだった。

 「・・・・ああ、凍死はしねえよ。でも、雨が降れば洪水になる。病気も出る。事故も起きる。人はいつ死ぬかなんてわからない。俺たちゃ、危険に囲まれて生きてるんだよ」
 「それは、インドがってことかい?」
 「東京だって同じだよ。本当は。ただそれが見えにくくなってるだけで」

 それは分かる気がした。子供の頃の雪国での生活は「危険」がいつも隣り合わせにあった。毎年何人かは屋根から滑り落ちる雪に埋もれて死ぬ。その雪を屋根から下ろすための雪下ろしでもまた死人が出る。歩道は雪に埋もれてしまい、子供もトラックが行き交う車道を歩いて学校に通う。吹雪の日にはスリップして道路をはみ出す車が絶えない、そんな環境だった。それが普通と思っていた。

 東京にはそんな、目に見える危険がない。

 もちろん、本当はある。交通事故はどこでも起きる。火事もある。通り魔や強盗は田舎よりも多いだろう。それはそうだ。けれど、その危険は見えにくい。

 雪国に住んでいた時、僕も健司も吹雪の中を歩いて学校に通ったものだ。あの頃、僕らは狭い凍結路面を行き交う車、そして吹雪という「危険」をただありのままに受け入れて、そしてその中で自分の安全を守るための努力をしていた。
 東京では、そんな危険は「あってはならない」もの、「安全な環境が当然提供されるべき」もので、それを行政に要求する権利がある、という、そんな感覚がまかり通っているような気がする。

 「これはビジネスにも関わってくる話でね」と健司は言う。
 「どういうこと?」
 「日本じゃ、新しい商品やサービスを作るのが難しいのさ」
 「どうして?」
 「一言で言えば、規制が厳しいから」

 教えてくれたのはこんな話だった。たとえば、圧縮空気をエネルギー源にして小型軽量の車を走らせようという構想がある。充電式電池を使うよりも安価で環境負荷も減らせる可能性があるという。ところが日本でそれを実用化するのは難しい。車両という移動体に高圧の空気タンクを載せることが禁止されているためだそうだ。実用に供するためにはその規制緩和が必要だ。しかしありとあらゆる規制緩和には「安全性」をタテに反対する勢力がある。そんな話が分野を問わずいくらでもあるという。社会と技術の状況が変わり、規制の意味がなくなっても規制緩和はなかなか進まない。

 「だから、新しい技術を使ったいいアイデアがある、でも日本じゃそれを商品化できない、なんて話がうんざりするぐらいある。すると、何が起こる?」
 「・・・・規制のない国でやればいい?」
 「そういうこと。研究開発を現地化しよう、ってえ動きの背後にはそういう問題もあるわけよ」

 第二次大戦直後、本田宗一郎は自転車にエンジンをつけるアイデアを商品化して「バタバタ」の名前で売り出し、それが創立直後の本田技研の土台を作る大ヒット商品になったという。1950年代には日本国内には100社を越えるオートバイメーカーが乱立していたそうだ。新しいものを作るためにみんなが試行錯誤を繰り返していた、そんな時代。けれど同じ事を今やろうとしても不可能だ。今では二輪車も四輪車も産業が確立し、スミからスミまで様々な規制の網が掛けられてしまっている・・・・

 「もちろん、規制が必要ないって言ってんじゃないよ。完全に規制なくしたらどうしようもねえデタラメ商品が出回って悲惨な事故続出だろう。そら間違いない」
 「うん」
 「ただ、その規制が新しい産業の芽を摘んでしまっている、そういう現実もあるわけだよ。これはもうどうしようもねえ。一度出来ちまった規制てやつぁそうそうなくならねえ。それを日本で撤廃させようって頑張るより、国外で商品化して磨き上げてから日本に持ち込む、そのほうが現実的だってことなんだよ」

 ・・・・そこで僕は、健司が「俺たちゃ、危険に囲まれて生きてるんだよ」と言った意味をようやく理解した。

 東京の「安全」は、「安全と確認されたことだけをやる」ことによって作られている。
 誰かが既に試して確認した「正しいやり方」に忠実に従うことを要求される、そんな環境になっているのだということを。規制が多い、というのはつまりそういうことだろう。

 けれど、それができるのは社会に余裕があるからだ。
 余裕がないときは、規制よりも実利が優る。

 吹雪の中の廃小屋で健司は新聞紙布団に僕を押し込んだ。古新聞にはバイ菌が、なんて言ってる場合じゃなかった。それよりも体温を保つのが先決だった。布団も毛布もストーブもない、その代わり規制もない場所で僕らは危機を切り抜ける方法を考えた。
 何もないからこそ人はものを考える。生きるために。危険な状況を脱するために。それが僕らには楽しかった。吹雪を切り抜けた後、親友になった健司と僕は2人でよく遊んだけれど、お互いにいつもその感覚があったと思う。僕らは危険に囲まれて生きている。だから、それを切り抜けるために考えるのだ。
 それが僕らのゲームになった。健司と僕はやがてもっと遠くへ冒険に出るようになった。

 それから14年。
 ムンバイの豪雨を見ながら僕はふいにある衝動に駆られていた。

 ここで働きたい。

 まだ成熟していない国で。教科書のない世界で、ああでもないこうでもないと試行錯誤しながら、本当に求められていることを探して働きたい。そう思った。

 けれど、それを言い出す勇気が出ない。

 健司は親友だ。きっと馬鹿にされることはないだろう。相談には乗ってくれるはずだ。けれど・・・・

■7.勇気

 「・・・・だからさ、俺、思うんだよ」

 健司が何か言っている。

 「この豪雨っていうか土砂降りっていうかドカ降りっていうか、この雨見てるとさ。本当に、自然の驚異っつーかさ。人間ってちいせえなあって」
 「・・・・どっかのエコロジストみたいなセリフだなあ」

 とは言ってみたけれど僕も同じ事を思っていた。

 「エコロジストは俺、嫌いだよ。頭でっかちな正義の味方が多いからな。でもまあ実際、人間は自然に間借りして生きてるんだなって、インドに来てからそう思ったよ。だから、ちょっとやそっとしくじったっていいじゃねえか、自分に出来ることをできる限りしよう、と思ってる。それがこの国の発展にも日本のためにもなればいいなってね」

 僕は黙っていた。

 「なんでえ、おい、俺っちのセリフに感動のあまり声も出ないか、ん?」

 ・・・・一言多いんだおまえは、バカヤロ。

 「ぎゃはは。まあ、でも、面白そうだろ?」

 「・・・・ケン」
 「ん?」
 「・・・・俺も、ここで働きたい」

■8.氷解

 いつの間にか雨は止んでいた。
 さっきまで降っていた豪雨の音が途絶え、思いのほか静かな部屋に僕の声はひときわ高く響いた。

 「トシ・・・・」

 健司がもったいぶって何かを言おうとしている。
 おい、さっさと言えよ!

 「・・・・そいつを待ってた!!」

 言うなり、あいつは飛び上がって両手で僕の手を握った。僕も遠慮がちに握り返した。

 「大歓迎だよ、トシが来てくれたらいいなあって、この前電話もらってからずっと思ってたんだぜ?」

 なんだ、そうだったのか。言い出す勇気が出ない、なんて、ためらってたのが馬鹿みたいだ。

 「・・・・いや、違うな、ほんとに馬鹿だ、俺」
 「なんだなんだ、どうしたんだよ」
 「いろいろ遠慮しすぎてたなあっていうか。ディフェンス張りまくってたなあと思ってさ」

 小学生のころ、僕は異端児だった。図書室にこもって一人で宇宙開発や瀬戸大橋や恐竜の本を読む子供は「普通じゃない」らしかった。「普通じゃない」ことをまるで道徳的に悪いもののようにみなす空気がそこにはあった。
 野球が好きだから野球の練習をする子のことはほめるのに、宇宙が好きだから宇宙開発の本を読む僕には「おまえはおかしい」という、とがめるような視線を向けてくる大人が多かった。僕が彼らの考える「子供」のイメージに合わないことにイライラしていたのだろう。
 どちらもただ単に好きなことをしているだけだし、誰にも迷惑は掛けていない。悪いことはしていない。なのになぜ一方はほめられ、僕は蔑まれなければならないのだろう・・・・

 悩んでみても小学生にその理由がわかるわけはない。そんなことが続くうちに、いつしか僕は自分の本音を言わない子供になっていった。本音を言うと、それにイラつく大人が出る。好奇の視線を向けられる。ならば、黙っていよう・・・・

 健司と親友になったのはそんな時だった。それから、彼にだけは遠慮なくなんでも言えるようになった。

 しかし中学を出てからは高校、大学と別の学校に進み、社会人になって健司と会う機会も少なくなると、いつの間にかまた自分の周りに防衛線を張るようになっていたらしい。

 文句をつけられるのが怖かった。
 お前はダメだ、と言われる余地をなくしたかった。
 誰にも頼らず仕事ができることを示したかった。

 そして、ストレスをかかえて軽いうつ状態になり、逃げるようにインドにやってきたというわけだ。
 うすうすは自分でも気がついていたんだと思う。ただ、気がついているからこそ認めたくないこともある。僕は、自分の弱さを認めたくなかった。それがますます自分を追い込むことになる、ということも知らずに、だ。

 もっと気楽にやればよかった、と今更のように思った。何も自分だけで抱え込むことはなかった。人の手を借りるのも才能のうちだ。いや、それこそが顧客に対する責任の遂行というものだろう。

 そう思うと気が楽になった。僕は勝手に世の中の人を自分から遠ざけていただけだった。自分のような異端児は誰も理解してくれないと思い込んでいた。でも、世の中はそんなに捨てたもんでもないらしい。もっと本音を言っていいんだ、ということに気がついた。それもインド名物のスコールと、サムライ宮田のおかげだった。

 笑いながらそんな話をして、僕は健司の手をぎゅっと強く握り返した。
 そうしたらあの野郎、もっと強く力任せに握り返してきやがった。
 おいおいやめてくれよおまえ握力強ぇんだからよ、痛いってば・・・


■9.わがまま

 「で、じゃあ、どうする?」と健司は聞いてきた。
 「ああ、今の会社は辞めてくる。ここで、働くよ」
 「本当にいいのか? さっき言ってたみたいに、気楽にやれば向こうでもうまく行くかもしれないぜ?」
 「そうかもしれないな。でも、いいんだ。この際、わがまま言うことにするよ」

 確かに、やりなおせばうまく行くのかもしれない。でも、僕はすっかりインドで、ケンの会社で働くことに魅力を感じてしまっていた。それを押し殺して東京に戻り、義務感だけで今の仕事を続けることはかえって誠実さに欠ける行為だと思った。「本当はインドで仕事をしたいけれど、途中でやめるわけにもいかないので東京で仕事をします」そんな気持ちで働くことを、上司や同僚やお客さんは望むだろうか?

 「ごめんなさい、わがまま言わせてください。インドに行きます」そう言って、怒られるならきっちり怒られて去ることにしよう。それでどうしてもそれは困る、ということなら、そこで何か落としどころを考えればいい。

 その時、僕は自分がもう、人との衝突があることを折り込み済みで策を考えるようになっていることに気がついた。対立がある、というのはいいことだ。そこから、妥協点を探る話し合いができる。お互いの理解を深めるきっかけになる。
 ほんの数日前まではそれができなかった。極力波風を立てないように・・・・そればかりを考えていたような気がする。だから余計にストレスが溜まっていたのだろう。もう、自分の弱さを隠さなくてもいい、と思ったときから、僕は本音を出せるようになっていた。


■10.東京へ

 3日後。
 健司と僕は再びムンバイ国際空港に来ていた。
 この3日間、観光そっちのけで僕は健司に案内されてムンバイのビジネス街を歩き回った。社長、役員との面談も順調に済んだ。他の社員とも、取引先ともあいさつをした。健司の行きつけのレストランのシェフにもあいさつをした。ついでにどこかの公園で観光客を乗せていたゾウも握手をしてくれた。

 詳しく話を聞くと、健司はもともと僕のようなバックグラウンドのスキルを持つ人材を探していたらしい。ちょうど、ムンバイの中に技術系の人材ネットワークを作るのに、英語がある程度しゃべれて技術者とコミュニケーションができる日本人が欲しいところだったそうだ。だから、僕が東京から電話したときは渡りに船、よっしゃあこっち来い来ーい、とそう思ったという。まあ、僕にどこまで出来るのかはまだわからない。けれど今は素直にそのチャンスを活かしたいと、そう答えておいた。

 そして今日、僕は成田行きの便に乗る。

 「東京、戻りたいか?」と健司が聞く。

 3日前には答えられなかった質問だった。あのときは戻りたくなかった。けれど他にどこに行く当てもなかった。そんな微妙な思いが僕の口を閉ざしていた。

 「ああ、戻りたいよ」と、今日は笑顔で答えられる。そう、東京に。

 「また来いよ」と健司も笑ってボクサースタイルで拳を突きだしてきた。第1ラウンド開始時のボクサーのように僕も構えて拳を合わせる。

 ムンバイ発成田行き、NH944便の搭乗案内が始まった。僕の乗る便だった。

 「よし! 行くか!」

 僕はバッグをかかえて歩き始めた。2,3歩行ってから振り返る。健司と目が合う。
 14年ぶりのセリフを、今度は僕が言う番だ。

 「必ず戻ってくるからな!! 待ってろよ!!」

 「おうよ!」と彼も笑顔を見せる。変わらない、親友。

 そして僕はゲートに向かって大股に歩き出した。

 (投稿者:遠坂信幸)

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【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。