誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。

時は金にあらず【一次選考通過作】

時は金にあらず【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


 さっきから時計を気にしてばかりいる。灰色の倦怠感に包まれたこの場所に朝からずっといると、だんだん自分が惨めになってくる。僕は何のために今ここにいるんだろうって。

 「お先に...」
 遠慮がちに挨拶をすると、
 「おっ!? いやぁお疲れさま!もう終わったのか?早いなぁ」
 「何だ?これからデートか?」
 業務フロアに残る部長や同僚たちの返事は気のせいか絡むように大きくて、その声は他の部署にも響く。これは早く帰る僕への嫌がらせかと思いながらも、顔だけは申し訳なさそうに職場を後にする。
 靖子とは7時半に銀座で待ち合わせをしていた。遅れることは既に何通かメールを送ったけど、彼女に対してこそ申し訳ない想いで一杯になる。デートに遅れるのは、これでもう何度目だろうか...。
 
 水曜の夜9時にもなろうかという時間に職場を出るのが「早い」だなんて言われたくない。慢性的に遅いこの職場では普段も10時頃になってやっとぼちぼち帰れそうな雰囲気になることが多いが、毎週水曜だけはなるべく7時までに帰るようにと総務部が「スイカエル7」のポスターまで作ったのだ。
 エレベーターを待ちながら、掲示板に張ってあるそれを見る。水の中をスイカ色のカエルが7匹『7』の字編隊でスイスイ泳いでいるそのあまりにもシュールな構図を眺めつつ、僕は本当にカエルになれたらどんなにか気が楽になるだろうと思った。
 そもそも決算期でもないのになぜ財務部がいつも遅くまでいる必要があるのか、正直言ってどうにも腑に落ちない。分かるのは仕事が終わっていようとなかろうと、ここは常に他人より先には帰りづらい雰囲気であることだ。
 
 ここ大手町からだと銀座は丸ノ内線でたったの二駅、乗ってしまえばほんの5分だ。でも、ただでさえ遅れているのにビルから地下鉄を経て銀座でまた店を探すのはあまりに億劫で、迷ったけどタクシーを探すことにする。
 それにしても、なぜこういうときに限ってなかなか掴まらないんだろうか。銀座に向かって小走りに歩きながら、靖子に電話を入れた。
 「英人?今どこ?」
 靖子はすぐに出た。もしかして、機嫌悪い?
 「ゴメン!いまやっと会社出たとこ。タクシー探してるんだけどさ、もしかしてそこまで走った方が早かったりして」
 「も~ 今から急いだってあんまり変わらないでしょ?バカねぇ~ フフッ!」
 僕は軽く息を切らせながら、折角だからちょっとだけ媚を売ってみる。
 「そうなんだけどさ、一刻も早く靖子に会いたくて」
 「そういうセリフをぬけぬけと言えるような男って、どうも信用ならないわね~、
浮気を隠してたりして?」 
 「んなわけないだろっ!とにかくすぐそっちに行くから、マスターの魅力にのぼせるんじゃないぞっ」

 ようやく拾えたタクシーに乗り人心地つく。それにしても、この解放感はなんなんだろう。実家の金魚は普段金魚鉢で飼っているので酸素が足りないらしく、水を換えるとそれこそ水を得た魚のように生き生きと泳ぎだす。今の僕もまさにその金魚のようだった。
 一般的に、大抵の仕事というのは今日どうしてもやる必要のないことでも時間を潰す為だけに作り出すことができるものだ。僕がさっきまでやっていたのはそういった類いのものだし、残った同僚たちがやってることだってそうに決まっている。部長が帰ればあいつらもすぐ片付けに入ることは目に見えていた。
 2年前から社内では間接部門の一層の効率化が叫ばれている。ただ過去に何度も失敗してきたようにそれはかけ声倒れになりつつある。
 僕が外部のコンサルタントと3ヶ月かけて作成した効率化プランは我ながらかなり良い出来だったと思う。それが、今もまだ部長に握りつぶされていた。どうやら、本当に財務部の仕事効率が上がってしまうと業務本部の人員削減への圧力が益々激しくなるからのようだ。

 銀座の店に辿り着いた。店は適度に混んでいた。"七賢"というこの店の名前はここのマスターが自分でつけたそうだ。
 「マスター、ご無沙汰です」
 「やぁ山岡さん、久しぶりだね。彼女はいま厠。あれ?目の下が隈になってるよ」
 「え?あぁ別に大したことないですって」
 それにしても、来る度にいつも思う。日本人でハンサムという言葉がこれほど似合う男はマスター以外にそうはいない。四十路と見当をつけているが、肌に張りがあってかなり若く見える。何より手が奇麗だ。彼がゲイだと知っていなければ、靖子との待ち合わせにこの店は絶対使わなかっただろう。
 「大企業ってのは、内部でいつも見栄の張り合いだからね、君も疲れるだろう」
 「昔を思い出しますか?」
 「もう忘れたよ。おぉヤッちゃん、彼氏のお出ましだぞ」
 化粧室から出てきた靖子は僕を見ると少しだけ口を膨らませて見せた。それがたまらなく可愛らしい。
 「もぉ~遅いぞ!浮気してやるから」
 「悪い、奢るからさ」
 「当然でしょ!マスター、ゲンセキちょうだい!」

 "七賢"には多くの日本酒があるが、やはり店名からか常連客はそれにちなんだ銘柄のオーダーが多い。"阮籍"というのはその七人の賢人の一人だそうだ。
 僕は靖子が座っていたカウンター席の隣にとりあえず鞄を置く。
 「何よ、その重そうな鞄は」
 「ああ、これ?終わらない仕事を持ち帰るフリをするために色々とね」
 「色々って?財務データとか顧客情報...んなわけないか」
 「ハハッ、今どきそんなの持ち出せるわけないだろ。うちの会社で出している商材パンフレットのゲラとかノベルティとか、今度の四半期説明会で配るやつ。
一応僕が関わってるのもあってね、嵩張るからいかにも大変そうに見えるんだよ。
まぁカッコだけさ」
 「へぇ、それにしても相変わらずあなたの職場はどうしようもないわねぇ~。
今どき部長が帰るまで諸共に滅私奉公?和を重んじる古典的企業の総天然色見本だわ」
 靖子はいわゆる帰国子女だ。高校の頃に銀行員の父親がニューヨークへ転勤になったとき一緒について行ってNYUを卒業し、大手の会計事務所に入った。ニューヨークオフィスで5年勤めた後は日本法人に移ったのだが、リーマンショックによる日本撤退を機に会計の仕事自体を辞めた。今は通訳をしながら母親の許で暮らしている。
 靖子には半年前既にプロポーズをしているのだが、本人はなぜかずっと煮え切らない態度が続いていた。僕には浮気するなというくせに。
 僕は鞄を床に置いて席に座った。マスターがカウンター越しに竹の器で二人分の"阮籍"を注ぎながらさりげなく会話に入ってくる。
 「『サラリーマンはぁ~気楽な稼業と来たもんだ♪』ってのは、ありゃ嘘だね。
上司がいる限り気持ちの上では相当過酷な稼業だよ」
 「う~ 確かにそれは言えますね。仕事の切り上げに限っても、僕のところでは部長が兎に角なかなか帰らないもんで」
 「サラリーマンって、ビジネスマンとは違うのよね。仕事をするのがビジネスマンなら、サラリーマンは会社の中で仮に仕事がなくても仕事があるフリをするのが仕事、って感じかしら?」
 靖子は日本とアメリカ双方の職場環境を良く知っている。自らの職場だけでなく、会計監査のために様々な業種に渡るクライアントの職場に張り付くことが何度もあったらしい。ちなみに、僕らの馴初めもそのときだった。
 美味しそうなツマミを持ってきたマスターが答える。
 「うちの店にお金を落としてくれるんなら、私としてはどちらでもいいけどね」
 笑いながら他の席にもツマミを運んでいった。


 「ねぇ、ところでその部長ってどうしてなかなか帰らないの?それに、そもそもなんでみんなその部長を置いて帰ることができないの?」
 靖子の疑問はもっともだが、課長の僕が部長を置いてここに来てるんだけどな。
 「部長が帰らないのは、業務本部長に忠誠心を見せつける為か、営業部に遠慮してか、或いは奥さんが怖いからか、何れにせよ迷惑な話だよ。そのくせたまに口だけは 『みんな早く帰れよ』とかヌカすし。お前が帰ればみんな帰るっつーの」
 効率化プランが握りつぶされていることは社外では言えない。
 「課長なら、少なくとも自分の課の勤怠管理は自分の責任でしょうに」
 「職場の空気ってのはそういう建前を超越するんだよ。
 本音ではみんな早く帰りたいんだけど、一緒にプラン作ったコンサルタントも言ってた、上司が帰る前には帰らないっていうのは、会社によってはもう正規の就業規則と言っていいんだとさ、書かれてないだけで」
 「財務部なんてコストセンターなんだから、早く帰れば残業代も減っていいはずなのにね」
 「この不況下で残業代なんかつけてるわけないだろ。だから安心して遅くまで居られるんだよ。『時は金なり』なんてのはそれこそ建前だな、実態は『時は金にあらず』ってことだろう」

 呑みながら段々と愚痴になりつつある話題を変えようと思った。
 カウンターの壁には淡い墨で描かれた絵が架かっている。竹林の中で7人の男たちが酒を飲みながら雑談している。
 「ところでさ、"竹林の七賢"ってどんな奴らだったの?この店には何度か来てるけど未だによく知らないんだ」
 「私も詳しくはないわ、三国時代に威勢のいいこと言って風流に暮らしてた人達らしいってことくらいね。いま呑んでる"阮籍"ってのはその七賢人のリーダー格だったみたいだけど、お酒ばっか呑んでた人なんだって」
 「ふ~ん、それはいいね。でも酒が入ると僕は気が大きくなるよりはどちらかと言うと愚痴になりやすいから、気をつけないと」
 「フフフ! そうよ、気を付けなさい。そうだっ! 確か万葉集にもそんな歌が出てくるわ、いわば日本版阮籍、アル中一歩手前の風流男のお話ね」
 と言って、靖子はスマートフォンを取り出して検索している。
 「あ~あった、コレ。見て見て」

  『いにしへの七の賢しき人たちも欲りせしものは酒にしあるらし』
                           大伴旅人

 「大伴旅人はね、結構いい歳になってから太宰府に転勤になるのよ。こんな歌を詠うなんて、奥さんとも別れて寂しかったんでしょうね」
 この機会だからと思って念を押しておく。
 「僕のほうはそろそろ奥さんが欲しいんだけど」
 靖子が心なしか緊張して見えた。
 「うん、そのことなんだけどね。今日はきちんと話をしたいと思って」
 靖子の真剣な顔に、僕は身構えた。
 「はっきり言うわ、私もあなたと結婚したい。それは間違いないの。
 でも、あなたが今のままあの職場で不満を抱えながら会社にご奉公するのを毎日ただ見るのは嫌なの。
 不況の今、大企業の正社員でいられるだけで贅沢だということは分かってるわ。
 年金だって有利だし健康保険も安いしね。でも、その為に私たちの将来の家庭を犠牲にしてほしくないのよ。だから、今の会社に居続ける以外の道を考えてみてほしいの。もしかしたらうんと苦労するかもしれないけど、私はあなたにうちの父親のようになってほしくないわ」
 
 窓越しに見える銀座の街はこの時間でもまだまだ賑わっているのがわかる。店の客もだいぶ入れ替わったようだ。そろそろ出るかな。靖子は化粧直しに行った。その間に勘定をと思ったら、いつの間にかマスターがカウンター越しに目の前にいた。
 「"阮籍"美味しかった?」
 「はい、口当たり良すぎてちょっと呑み過ぎたかもしれません」
 「ははは、それは良かった。そうそう、あのね、阮籍は官に仕えては辞め、仕えては辞めを繰り返していたそうだよ。能力があっても宮仕えが性に合わなかったのかね」
 「そうですか...。マスターもそうだったんですか?」
 マスターは頷いた。
 「うん。ヤッちゃんの父親は君んとこの部長みたいな人でね。
 自分で言うのもなんだけど、当時私は銀行の中ではかなりのヤリ手で、同期で課長になったのは私がトップさ。でもそこから先は仕事ができるかどうかが第一ではないんだな、ヤッちゃんのお父さんとはそのあたりの呼吸が合わなくてね。
 まぁひょんなことから同期に妙な噂を立てられて面倒くさくなって辞めたんだけど、今から思えばいずれ自分から辞めていたと思うよ。負け惜しみでなく」
 「そうだったんですか...。え?妙な噂って、もしかしてマスター、本当はゲイじゃないんですか?」
 「ん?さぁどうだろうねぇ」
 勘定を済ませたらちょうど靖子が出てきた。マスターに軽く挨拶をして一緒に店を出る。外にはタクシーが何台も待っていた。来るときにはあれほど掴まらなかったのに。
 薄化粧の靖子は本当に綺麗だった。その顔を見ながら、僕は想いを新たにする。

 「なぁ、靖子」
 「なぁに?」
 「幸せになろうな」
 靖子は立ち止まって僕の顔を見る。そして笑って言った。
 「ええ、今よりもっと幸せになろうね」

(投稿者:本荘蔵之介)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。