誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。

6回の鐘【一次選考通過作】

6回の鐘【一次選考通過作】

「誠 ビジネスショートショート大賞」事務局

ビジネスをテーマとした短編小説のコンテスト「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」(Business Media 誠主催)。ここではコンテストに関するお知らせや、一次選考を通過した作品を順次掲載していきます。


くわあぁぁんん......くわあぁぁんん......

 目を閉じると株式上場セレモニーの鐘の音がまた頭の中で響いてくる。昭和三年に作られたらしい。少しくぐもっているが伸びがある鐘の音だ。IR(インベスター・リレーションズ)担当者として「株式会社もんじゃ焼き下野」に入社して1年半、ようやく東京証券取引所マザーズ市場への上場日を乗り切った。

 くわあぁぁんん......くわあぁぁんん......

 「我々は、これで、日本の食文化を変える責務を負った。これから、この栃木から、全国に向けて、新しい食文化を発信していく。だから...」

 常務の熱弁は続いている。大宮を過ぎてやまびこ153号は軽やかにスピードを上げた。4月も後半になって暖かな日が続いていたが、シートを向かい合わせたこの一画はさらに暖かくそして穏やかな空気に包まれている。大宮までに缶ビール2本は自分としては少しペースが速い。

 くわあぁぁんん......くわあぁぁんん......

 朝から株式上場セレモニー、会食、金融機関や取引先への挨拶と分刻みのスケジュールを終え、体は疲れているが頭はかえって冴えてしまった。

 「社長、あれ6回鳴らしませんでした?」

 新しい缶ビールに手を伸ばした社長に声を潜めて囁いた。

 「ん?」

 「セレモニーの鐘ですよ。『五穀豊穣』の意味で5回なんです。社長6回鳴らしてましたよ。」

 「そうだったか。こりゃしまったな。」

 社長に向かってこんな軽口を叩くのはめったにないが、許されるだろう。

 「鉄板の前でないといけないという固定概念に囚われているんだ。我々がここまで受け入れられているのは、それが間違っている証拠じゃないか...」

 常務もまだまだ快調のようだ。上場担当役員としての緊張からようやく解き放たれたのだろうか。小山を通過したやまびこはしばし暗闇の中を走る。

 「鐘か...。株式上場記念パーティーの時には似たようなものを用意しておいてくれないか。」

 「鐘をですか?」

 「最後の社長挨拶の時に準備しておいてくれ。」

 セレモニーでは社長も誇らしかったのだろう。社長が一人で全部鐘を鳴らしてしまった。創業から20年余り支えていた常務が1回くらい鳴らしてもいいのに、そもそもゼロからIRを組み上げた自分だって鳴らしても良かっただろう。

 「みんな今日はご苦労だった。ゆっくり休んでくれ。また明日からは今月の数字の仕上げだな。」

 社長がそう言って立ち上がった。宇都宮駅の灯りの中にやまびこはゆっくりと進んでいった。

 

 *     *     *

 

 「なんだこの数字は!上場会社として恥ずかしいとは思わないのか!」

 月初めの経営会議ではいつものことだが、朝9時から社長のテンションはMAXだ。特にこの4月は数字が振るわなかったから無理もない。

 「ここのところ新聞でもTVでも『もんじゃ焼き下野』の名前が出ていただろう!上場記念セールも大々的に仕掛けた。これで前年比93%とはエリアマネージャーの怠慢だぞ!」 

 オブザーバーとして隅の席で参加している自分でさえ身を縮めるような迫力だ。「IRを組み立てるためには全社の動きを知ることが必要です。」と社長に頼み込んで参加している経営会議だが、会議とは名ばかり。いわゆる業績の「詰め」の場だ。

 「エリア状況の報告を始めろ!」

 「宇都宮エリアマネージャー福田ご報告致します。4月は...」

 メモを取るのはこの時間だ。10店舗ほどを束ねるエリアマネージャーの報告の中には、時にハッとさせられるものがある。「挨拶3回」「釣銭両手渡し」「食材の説明」「受取り予約サービス」...「そんなことが売り上げに繋がるのか?」社長はいつも詰問するが、ボトムアップのアイデアこそが「もんじゃ焼き下野」を支えてきたのだと自分は思っている。株式上場時のIRとして一番重要なのは、会社の成長戦略をしっかりと作り、百戦錬磨の投資家に向けて説明することだ。店舗勤務の経験こそないが、中途入社の自分の方が外部の視点を取り入れて会社の強みや成長戦略を説明するのは適しているように思える。「顧客グリップの強さ」「地元への密着」「現場力」といった会社の強みを捻り出したのは自分だ。「テーブルに鉄板がないもんじゃ焼き屋」といったフレーズを元に、女性客や家族連れの顧客比率が高いことが他の飲食店との差別化要因であると訴求したのも自分だ。会社のもんじゃ焼きをいかに顧客に販売していくかがエリアマネージャーの手腕であるならば、「もんじゃ焼き下野」という会社に対していかに投資家に資金を提供させるかがIR担当者の手腕なのだろう。

 「大田原エリアマネージャー大沼ご報告致します。4月は...」

 今回はあまり新しいアイデアが出てこないようだ。ふと経営会議後の社長とのIR方針の打ち合わせについて考え始めた。株式上場時のIRに対して社長は素晴らしく積極的だった。1週間で24件行った機関投資家訪問は体にも応えただろうが、飲食業界に身を置いて30年、「もんじゃ焼き下野」を立ち上げて20年、経験に裏打ちされた柔らかな物言いには、20代、30代の若いアナリストやファンドマネージャーは圧倒させられていた様子だった。今後の成長性についてはかなり厳しい質問があったが、「北関東以外への展開」「お好み焼き、鉄板焼きなど他業態への進出」といった戦略について社長は動じることなく丁寧な説明を繰り返していた。

 「小山エリアマネージャー宇賀神ご報告致します。4月は...」

 社長も機関投資家とのディスカッションを繰り返すことで、「株式会社もんじゃ焼き下野」が株式市場からどのように見られているか把握したのだろう。やや低目かと思われた上場時の株価にもすんなりと了承を出したことで、上場後の株価も値崩れせず安定して推移している。これからもきっとIRに力を入れてくれるであろう。

 「最後に常務!」

 経営会議で社長が常務に呼びかけるのはあまりない。

 「管理本部担当として、上場後の収益性をさらに高める方策を考えておいてくれ。それではこれにて今日は閉会!ゴールデンウィーク後半も気を抜くな!」

 

 *     *     *

 

 「社長はお前をな、マーケティング担当に異動させようとしているんだ。」

 「えっ! そ、それはないでしょう。」

 経営会議が終わってからも個別にエリアマネージャーを叱咤しているのだろう。IR方針の打ち合わせに社長はなかなか表れなかった。

 ぼんやりと窓の外のうつのみやタワーを眺めているときに常務の一撃だ。

 「これからIRを立ち上げていくというのに、異動になるんですか?」

 「まだ決まった訳ではないが、社長はお前を買っている。俺も今異動させるのは反対だが、まあ頭に置いておいてくれ。」

 こういう常務の情報は気を付けなければいけない。社長がせかせかと部屋に入ってくる。

 「えー、今日は何だ!」

 経営会議の勢いがそのままだ。

 「上場後のIR方針についての打ち合わせです。」

 常務の声も少し上ずった。

 「上場後は、IRの体制を縮小したいんだがな。」

 社長もいきなり切り込んできた。でもこれは自分にとってはチャンスボールだ。「もんじゃ焼き下野」に入社する前は建設会社で5年ほどIR・財務を担当していた。IRに理解のない役員も多く、この手の議論は積み重ねている。常務との事前打ち合わせからは逸れてしまうが、ここは自分の出番だ。

 「上場後のIRについては、この3つの観点から考えたいと思います。」

 おもむろに腰を上げてホワイトボードに向かって書き始めた。ここは少しもったいぶって時間をかけるのが良い。

 

1.コンプライアンス
2.Push要因
3.Pull要因
 

 「上場後のIRとしてコンプライアンスは大変に重要です。会社法、金融商品取引法、東京証券取引所上場規則など遵守しなければいけない事項は多くあります。有価証券報告書や決算短信、各種リリース等を適時に作成・開示することは当然ですが、マザーズ市場に上場しているため年2回の説明会開催と資料作成も必要となります。ここはしっかりと対応する必要があります。」

 コンプライアンスについては立て板に水のように話すのがコツだ。

 「まあ、コンプラの部分は最低限必要だな。『Push要因』とはどういう意味だ?」

 「ここはIRの主体である我々のニーズに基づいて行うIRのことです。上場時に説明した成長戦略として、『北関東以外への展開』『お好み焼き、鉄板焼きなど他業態への展開』といった点を挙げましたが、本格展開するには資金調達が必要です。公募増資など株式での資金調達に備えて地道に投資家とのコミュニケーションを図っていくことが『Push要因』のIRです。」

 社長は額に手をやって少し間を置いた。緻密な計算で冷徹なジャッジを行ういつもの社長の顔が戻ってきている。

 「1年間は株式の資金調達はないなあ。上場の時と同じようにその時にまたゼロからスタートすればいいじゃないか。それまでは極力体制を縮小してはどうだろう。」

 「コンプラに反しない範囲で体制を縮小するのも経営戦略の一つです。もう一つお考え頂きたいのは『Pull要因』です。社長に機関投資家を訪問頂いた後に、IR室に内容を補足する電話質問やメールが数多くありました。個人投資家からも頻繁に問合せの電話があります。投資家からの注目もまだ高く、色々な情報が求められている中でIRの体制を縮小するのはどうかと思います。もう上場してしまった以上、我々は株式市場の中でわずか1/3500の存在です。上場セレモニーの時のように株式市場全体から注目される機会はそうないでしょう。それに...」

 「分かった。少し考えさせてくれ。上場記念パーティーが終わったらまた話そう。」

 社長は足音を立てながら会議室を出て行った。

 「...どうですかねえ。」

 社長を少し押し戻すことはできただろうか。

 「まあ俺からも後で話してみるが分からんな。まずは上場記念パーティーを粗相なく終わらせようや。」

 常務と社長の長年の関係に期待するしかないだろう。前の会社でも散々味わっていたとはいえ、IR担当者としては早くも正念場だ。

 

 *     *     *

 

 ホテル北関東宇都宮の「大和」の間は何度も来たことがあるが、これほど晴れやかな顔で埋め尽くされているのは初めて見た。取引先や政治家、上場会社社長やマスコミまで数多く迎えた上場記念パーティーも終わりに差し掛かっている。

 「それでは、社長より最後のご挨拶をさせて頂きます。」

 女性司会者のやや間延びした声が社長を迎え入れる。社長は演台脇の鐘に向かった。

 クワアァァンン......クワアァァンン......クワアァァンン......

 何も言わずに鳴らし始めた。宇都宮じゅうのレンタル会社から探しただけはある。年季は入っていないが音は本物にそっくりだ。

 クワアァァンン......クワアァァンン......クワアァァンン......

 やっぱり6回鳴らしている。

 「東京証券取引所での上場セレモニーの時に、こちらと似たような鐘を鳴らしました。証券取引所や証券会社・金融機関の皆様の視線が集まった中で、歴史ある鐘を鳴らしたあの瞬間を私は決して忘れないと思います。本日このようにまた鐘を鳴らさせて頂いたのは、その時の感動を少しでも皆様にお伝えしたかったのと、これからも皆様とともに発展していくことを誓うためであります。」

 そうか。新幹線の中でこのスピーチを考えていたんだな。

 「本来この鐘は『五穀豊穣』の意味を込めて5回鳴らすそうですが、先ほど私は6回鳴らしました。最後の1回は、自分自身とこの『株式会社もんじゃ焼き下野』に『喝』を入れるために鳴らしました。この2カ月ほど、我々は新規上場会社として新聞やTVでも取り上げられ、少々浮足立っていたと思っています。これからさらに、一回り大きく発展していくために...」

 あの6回目の鐘は社内に向けた戦闘開始のゴングだったのか。社長は6回目の鐘を一番高らかに鳴らしていたように思えた。そしてそのゴングは自分にも向けられている。

 「本日で上場に関した一連のイベントは終わります。また我々は本業に力を入れ、お客様に美味しく食べて頂けるようなもんじゃ焼きを焼いていきます。本日はお忙しい中、『株式会社もんじゃ焼き下野』の上場記念パーティーにお越し頂きありがとうございました!」

 万雷の拍手に包まれて、無数のフラッシュが焚かれた。カメラマンが押し寄せ、社長にポーズを求めている。

 「はじまりだな。明日社長がミーティングの時間を取るそうだ。」

 常務が後ろから声を掛けてきた。自分はマーケティング担当に異動し、IR室が縮小される方向性はもう決まっているのだろう。

 「色々考えてみましたが、IR室の縮小も自分の異動も反対です。」

 たちまち投資家から相手にされなくなるのは目に見えている。IR担当者とは、会社のためを思うがために、時に社長と対立し、説得しなければいけないというつくづく不思議な役職だ。株式上場を終えてIRに対して積極的だった社長はもういない。「株式会社もんじゃ焼き下野」が株式上場というステージを一つ上がったように、IR担当者としての自分の仕事もステージが変わるのだろう。

 「俺も鐘を鳴らしてみるかな...」

 戦闘開始のゴングは自分で鳴らそう。一人呟いて鐘に向かって歩き始めた。

(投稿者:荒竹義文

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

【事務局より】「第1回 誠 ビジネスショートショート大賞」の一次選考通過作品を原文のまま掲載しています。大賞や各審査員賞の発表は2012年10月17日のビジネステレビ誠で行いました。