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ピンチをチャンスに変えてきた日本

ピンチをチャンスに変えてきた日本

本間 理絵

都内在住の編集者。趣味は食べ歩きと旅行。


鳩山首相が辞任した。任期わずか8か月、歴代5番目の短命内閣となった。8か月では何の成果も上げられない。「石の上にも3年」ということわざのようにもう少し粘って欲しかった。

淡々と辞任会見する首相の精気のない表情をTVで眺めていたら、ふと「ピンチをチャンスと変えよう。たとえ挫折しても開き直りが大切だ」と中條高徳氏(アサヒビール名誉顧問)が言っていたのを思い出した。

 

それは先月19日、日比谷公会堂で行われた東京青年会議所の5月例会でのこと。基調講演に立ったのが中條さんだった。中條さんは「アサヒスーパードライ」作戦で会社再生計画の陣頭指揮を取り、奇跡的な大成功を収めた人である。

 

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この日のテーマは「日本経済復活への道」。過去の歴史に学びながら再生への道を探ろうという講演内容だった。立て板に水のごとく澱みなく、しかもユーモアたっぷりでスピーチするご様子は、1927年生まれの83歳のはずなのに20歳くらい若く見えた。

 

出だしは1904年の日露戦争の頃に遡る。当時、世界のどの国もまさか日本が大国ロシアに勝つとは夢にも思っていなかった。でもし仮に大方の予想通りに負けていたら、今日本という国はなく、ロシアの一部となっていただろう。

ところがまさかが本当になって日本は勝った。列強は極東の黄色人種たちがこれほど強くなるとは思わなかったので一斉に警戒して、どんどん亡き者にしようと思い始めた。そして1941年に始まる太平洋戦争で日本は大敗した。

ところが、1950年に朝鮮動乱という神風が吹いた。「自由主義と共和主義の戦い」であるこの戦いにおいて、アメリカとソ連の中間に位置する日本は自由主義の「砦」として西側諸国にとって必要な存在だったのだ。この朝鮮特需により日本は息を吹き返し、高度成長期を経て世界第2位の経済大国へと駆け上がったのである。

 

このように日本はここぞという時に不死鳥のごとく復活するタフな国であり続けた。だから今もこれからも必ず復活する、と中條さんは客席の若手経営者たちを鼓舞したのであった。

さらに中條さんは、栄華を誇ったローマ帝国の衰亡を例に挙げた。ローマ帝国が滅びた理由は3つある。第1に理想を失ったから、第2に心の価値を見失ったから、第3に自分の国の歴史を忘れたからだ。

だから日本も、ローマ帝国の二の舞を踏んではいけない。日本が再生するには、理想=志を持つこと、心の価値を見失わないこと、自分の国の歴史に学ぶことが重要だ。

今、大半の日本人は将来の不安を抱えている。自営業者の自殺者が急増しているが、ちょっと事業をしくじったくらいで死ぬのは神への冒涜だ。経済状況は必ずよくなる、と中條さんは訴えた。その後に冒頭の言葉が続くのである。「ピンチをチャンスと変えよう。挫折しても開き直りが大切だ」。

鳩山首相には、辞任を決意する前に中條さんに会って欲しかった。彼の示唆に富んだ力強い話を聞いて欲しかった。それから決断しても遅くはなかったのではないかと思う。