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取材先で被災、都内を歩いて出社

»2011年3月14日
別冊 誠Style

取材先で被災、都内を歩いて出社

岡田 大助

誠Styleの中の人。いまはちょっと遊軍記者、なのかな?


3月11日、最初に大きな地震を感じた場所は、東京・初台。腕時計の展示会を取材中でのことでした。展示中のオブジェが倒れる、天井の一部に亀裂が入るなどはありましたが、周りで怪我をした人はいないようでした。

さて、取材先にいて困るのは、今回のような地震を含めて災害が発生した場合に、そのビルではどのように行動すべきか分からないということでした。ビルの中で待機するのか、近くの広域避難所に行くべきなのか、そもそもビルの構造が分からないので非常出口がどこにあるのか不明。

幸いにして、そのビルでは防災センターからの指令が非常に明瞭な日本語で、無駄のない適切な指示が放送されたため、どこに避難すればいいのか知ることができました。このとき、「弊社の入ってる、あのビルの防災センターの無線は、避難訓練と同じようにグダグダなのだろうなあ」と思いを馳せられるほどの安心感。のちに帰社してから聞いたところでは「いつもどおり、カツゼツの悪い無線だった」「どうでもいい放送が繰り返された」と……。

●TwitterやFacebookはライフラインとして十分だった(らしい)

取材先に直行だったため、何としてでも(家族と)編集部には無事の一報をいれなければ……と携帯電話を掛けましたが、案の定、通話負荷。携帯メールも送信できず。この時点で、携帯電話からの連絡はダメか、と半ば諦めてしまったのです。

が、データ通信だけなら頑丈なもので、多くの社員がTwitterなりFacebookなりで無事だという情報を発信していたとか。携帯電話(いわゆるガラケー)のメールが使えない時点で、これらを活用することをすっかり除外してしまった今回の経験は、今後、絶対に役に立つものだと思います。

そういえば、つい先日、ホンダのインターナビの取材で「カバレッジが狭いといわれるソフトバンク3Gでも、データ通信なら何とかなるものですよ」といわれたばかりだったのに。

●テレホンカードは1枚もっておくべき

携帯電話の普及で、視界に入らなくなってきた公衆電話。初台から大手町まで歩いた経路のなかで、意外なところにたくさん残っていたのも事実。ただし、どこも長い行列でした。

信濃町あたりで、唯一だれも並んでいない公衆電話を発見し、駆け寄ったところ「テレホンカード専用」の文字。周りを見渡してもテレホンカードを販売していそうなところが見当たりませんでした。むかしは、そういう電話の側にはテレホンカードの自動販売機があったのになあ。

ということで、「いまどき」とか言わずにテレホンカード1枚をサイフに忍ばせておくことは重要かもしれません。自宅に帰れば、IDOのCM時代の常盤貴子のテレホンカードが全種類あるのに!!

●土地勘は重要、だけどわからなければ線路沿いで何とかなるさ

取材先の初台から大手町の編集部まで歩いてかえろう。電車も復旧しないし、タクシーにのっても渋滞で動かないだろう。電話は、途中で何度も掛ければいいし。

さて、途中の四谷あたりから大手町までのルートはすぐに頭の中に引けたのですが、初台から四谷までがあやふや。それでも、「日本橋まで10キロ」という交通標識を見て、2時間くらいで大手町にたどり着けそうだと、もりもり歩き始めました。幸い、NIKEのランニングシューズを履いていたことですし、革靴だったら悩んだかもしれません。

初台からとりあえず西新宿方面へ。ところが、都内の地図は何となくレベルでしか頭に入っていません。まあ、おおよその方向さえあっていればいいさ、東に向かって一直線だろ、という具合。さっき、展示会で見せてもらった電子コンパス付きの腕時計がほしいなあとか、ないものねだりをしつつも歩き出します。

携帯電話の地図を呼び出しても、GPSでの現在位置を確認しにいったままデータが戻ってきません。西参道あたりで「代々木公園、右折」という交通標識を前に、右折したほうがいいのか、直進して新宿駅→代々木駅→千駄ヶ谷とたどった方がいいのかで悩みつつも、線路沿いを選択。

結果的には、ほんの少しだけ遠回りとなりましたが、自信を持って歩けたという点では、その後の疲労感は段違いだったと思います。代々木と千駄ヶ谷の間ではガス漏れによる通行止めを体験し、普段絶対にとおることのない路地裏を進み、千駄ヶ谷と信濃町の間では線路上を避難する人たちを写真に収め……結果として予想通り2時間で初台・大手町間を走破。少しだけ都内の地理に詳しくなれた気がします。