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12月23日 鳴かずんばそれもまたよしホトトギス~それって何にもゆってねー(#579)
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自然の理がわかるようになるには、何ごとにもとらわれない素直な心になること――松下幸之助さんは、昨日の私の疑問に関して、このように回答します。
さすがは松下さん。きちっと道を示してくださっています(とはいえ、昨日のような循環論法は作れます。頭の体操と思ってやってみてください)。
ただ、それを示すために松下さんがあげているたとえはいかがなものか?
●松下さんのたとえの要約
信長は「鳴かずんば殺してしまえホトトギス」、秀吉は「鳴かずんば鳴かせてみせようホトトギス」、家康は「鳴かずんば鳴くまで待とうホトトギス」という。
これらはすべてホトトギスを鳴かせるということにこだわっている。
自分は、何でもこだわっていたら、うまくいかないと思う。なので、自分が詠むなら「鳴かずんばそれもまたよしホトトギスだ。
以前、別の本でこれと同じ話を読みました。その頃は、なるほど視点が違うと思ったのですが、今はそのときよりもう少しものが考えられるようになりました。
これは「ホトトギス」が何かで多少解釈が変わってくるのです。
「ホトトギス」を目の前の交渉相手や敵と考えると、松下さんの話は、なるほど目からウロコだ、となります。
しかし、「ホトトギス」を天下と考えたらどうでしょうか?
私は、わざわざこの三人を使っていることから考えると、天下と捉えるほうが趣があると思います。
そうなると、天下を狙っていない凡人の我々にとって、「鳴かずんばそれもまたよしホトトギス」という言葉は、スチャダラ兄風に言うと「それって何にもゆってねー」ということになります。「それもまたよし」に決まっていますからね。
たぶん、松下さんは前者、すなわち"目の前の交渉相手や敵"という意味で考えていると思うのですが、私はそれでは趣がないと感じます。
もちろん、どちらに趣があるかはセンスの問題、つまり主観的なものなので、強く主張するつもりもありませんが。
しかし、このようなことを言うやつはこだわっていると松下さんなら返すんでしょうし、そう返されたら「恐れ入りました」というほかはありません。
今日の一言)細部に目を向けると解釈は変わってくる。
本年の一日一言は、『松下幸之助 成功の金言365』を毎日1ページずつ読んで、自問自答するという趣向です。
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