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最後のよりどころ
当ブログ「ビジネスライターという仕事」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/toppakoh/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
日本の自殺者は3万人いて、行方不明者も入れるとその倍だそうです。
何でこんなに生きづらいのか?
村上福之さんのこんな分析もありました。
▼自殺するのは「若者」ではなく「おまえら」:国内自殺者3万人の実態
http://blogs.bizmakoto.jp/fukuyuki/entry/4983.html
こういったものも踏まえつつ、僕の個人的意見を展開したいと思います。
村上さんの記事によれば、僕などはいつ自殺してもおかしくありません。はてしなく無職に近い(フリーランスとフリーターの区別なんてほとんどありませんし)40代(しかも来年は50歳)だからです。僕にとっては、村上さんの記事はとてもリアルに響きました。
正直に告白すると、今年もすでに4分の3が終わろうとしていますが、そのうちの少なくとも8割ぐらいの日は、なんで今朝も目が覚めてしまったのだろうと思ったのです。
要するに、朝一番に死にたいと思った日が大多数ということです。これはしんどい。
しかし、それでも生きているし、失踪すらせずに踏ん張っています。
なぜ、踏ん張れるのか?
もしかしたら、通勤していないというのも大きいかもしれません。こういう半分鬱状態のときは、まず通勤ができない。それで、さらに落ち込む。
無理やり通勤すると、今度は駅のホームから飛び降りたいという誘惑と戦うことなります。
と思ったのですが、そうなると無職、つまり通勤しないですむ人が自殺する理由がよくわからなくなる。
無職の人と比べれば若干の収入があるからかもしれません。
いずれにしろ通勤の有無はあまり関係ないかもしれない。
それどころか、昼間一人で家にいる時間が長いわけですから、よけいにやばいのかもしれません。
実際には、目覚めたときには死にたいと思っていても、とりあえず何かを始めると、その気分は徐々になくなっていきます。
夕方には、今日も生かされたことの感謝にウルウルする――ということはないのですが、まあ今日も酒が飲めることには感謝するぐらいの気持ちになっています。
うちは犬を飼っているので、朝から散歩に連れて行かないといけない。どんなに死にたい気持でも犬の散歩には行く。それがいいのかもしれません。
他にも仕事で朝からメルマガを配信しているので、PCに向かわないといけない。これも大きいようです。
となると(多くの人が言っていることだけど)、とりあえず何かするというのが、いいのかもしれません。
冒頭の、なぜ踏ん張れているのか、についての答えはこんなところです。
ただ、これだけだと結局毎日同じことの繰り返しで、そのうち発作的に自殺してしまうかもしれません。
この循環から抜けることを考えないといけない。
そうすると何らかの哲学が必要になってきます。
哲学というと大げさですが、何かよりどころが必要ということです。ある意味宗教に近いものかもしれません。
ただ、我々はもはや絶対的な存在に本気で帰依することが、ほとんど不可能になっています。
新興宗教にはまるという手もありますが、多くの場合それは依存症のようなものです。
よりどころを自分の中に持たないといけない。
このことが我々を決定的に生きづらくしているのではないでしょうか?
僕の場合、転機と思えるのは、自分軸発見支援のワークショップの開催でした。
一つは、こんな僕にでも、頼りにしてくれる人がいる。それも、かなり人生の奥深いところで悩んでいる人です。
そういう人たちが僕に依存しにくるわけではないのです。自分自身の軸を発見したいので手伝ってほしいというわけです。これには、何らかの自分の存在価値を感じざるを得ません。
もう一つは、人間関係に一つの可能性を感じたことです。
ワークショップなので、参加者一人一人が他の参加者に自分の考えや悩みを開陳します。悩んでいる者同士なので、共感的な空間になります。
これはよくある、意味もなく褒めあったり、肯定しあったりという集まりとは一線を画しています。なぜなら僕はそういう集まりに居心地の悪さを感じるから。
もっと具体的に表現しろと言われると少し難しい。参加している人にしか分からない共鳴感を言葉にするのは難しいのです。できれば参加者の感想から汲み取っていただきたい。
自分がこんなに饒舌だったのか、自分自身に驚いています。
いつもは、懇親会などの飲み会があっても、あたりさわりない程度の話に始終してしまって、腹をわった話というのはほとんどできませんでした。
今回は、自分の腹の中を全部だしたぞ、という満足感がありました。
そして、言葉が強くなっている自分を感じました。
我ながら、すごいことをやっているんじゃないかと思いました。ただ、それは現象だけであって、なぜそうなるのかが分かりませんでした。
で、考えていたのですが、最近ようやく分かりました。
人間、何かの折に最初に自分のことを思い出してくれる人がいるという確信があれば、なかなか死なない、ということです。
これが僕の最後のよりどころです。
腹いせで自殺してやろうと思う人がいるそうです。何でこんなことをするかというと、思い出してほしいからでしょう。
自殺する人の多くも、誰も自分を思い出してくれないという絶対的な孤独感があるのではないでしょうか。
もちろん自殺の原因のすべてが絶対的な孤独感だとは言いません。だから、最初にも書いたように個人的意見、すなわち僕が死なない理由はこれです、と言っているだけです。
ただ、僕と同じようなよりどころで踏ん張っている人も多いのではないかと思うのです。
自分軸というのは、僕の造語ではありませんが、メソッドは僕独自のものです。
「誰に・何を・なぜ」提供しているのかを追求することによって、「自分は何で世の中の役に立てるのか」を発見するというものです。現在は、ファシリテーションによる発見支援をメインに行っています。
コーチング的に発見支援をすることもできますが、ワークショップ、すなわちファシリテーション的な発見支援のほうが、複眼的になるので、より効果的です。
実にシンプルで、こんなことで悩みが解消するのかと疑問に思うでしょうが、実際に効果が出ています。
自分軸を発見できると、とがります。自信もできます。
これが、「何かの折に最初に自分のことを思い出してくれる人がいるという確信」につながることになります。
自分軸が見えてくると、先日の記事で書いたような、「人と会う機会を増やし、ニコニコと怒らず相手の話を聞き、自慢せず、何かを頼まれたら一生懸命やる」という姿勢に結びつきます。
この姿勢ができてくると、本当に声がかかるようになります。
コンペでなく指名で仕事がくるということは、その折に最初に自分のことを思い出してくれたということです(本当は、他の人が断ったのでお鉢が回ってきた案件もあるでしょうが、そんなことは気にしないのがいい。ここでいい仕事をすれば次は間違いなく最初に思い出してくれるから)。
ということで、僕が取り組んでいる自分軸発見支援というのは、俗にいえば自己PRの手法なのですが、最終的に目指しているのは「何かの折に最初に自分のことを思い出してくれる人」を作るということなのです。
なんて書いていると、僕のことをまじめな人のように捉える人もいるかもしれません。
まあ、根はまじめと思っていますが、まじめ一辺倒の人は往々にして自殺しやすい。できるだけふざけることにしています。
たとえば、こんな写真を自分のブログに載せることで、バランスを取るようにしています。
ゆるーく生きましょう。そのために軸を持つ。
軸さえあれば無理に頑張らなくても大丈夫です。
まあ結局、「おまえは恵まれている、だから死ななくて済むんだ」と言われたら、実際その通りだと思います。
けれど、僕と同様だったり、僕より明らかに恵まれている人も自殺しているようです。そういう人には当てはまる話かもしれませんね。