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バレンタイン戦争を終わらせに来た!

バレンタイン戦争を終わらせに来た!

大川 哲志

2012年、数名の仲間と一緒にデジタルマーケティングの領域で会社を設立。新しい社会を作る上で、今後「自分たちが担える役割とは何か」を、日々議論しながらチャレンジしていきます。

当ブログ「次世代マーケティングリサーチから見る、考察と戦略」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/webteam/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


この不毛なバレンタイン戦争を終わらせにきた

バレンタインというのは本当に不毛である、と私は勝手に思っている。誤解がないようにもう一度言うが、私が勝手に思っているだけである。もし、異論があるならおのおの思ってもらえればいい。ただ、このマーケティング戦略にもとづく悪しき習慣は多くの人を傷つけ、また多くの恋愛を救ってきたのも事実である。そのため、このブログでは、バレンタインデーの習慣に対するソーシャルメディア界隈の人の意見を散見し、その反応が私の考えに概ね近いのであれば、それを元に、このバレンタインという習慣を終わらせるための、付け焼刃な戦略PR論を提言したい。

などと、書くと関係するチョコ菓子界隈やそれに紐づくバレンタイン特需に期待をしている関係者は戦々恐々とし、猛烈な批判をもらい兼ねない。そこは承知の上でこのブログを書いている。というのも、そういった関連する方々にも利益となりえる話にするつもりだからだ。

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このグラフを見てほしい

「バレンタイン チョコ」の検索結果   Yahoo 検索(リアルタイム.jpeg これは過去30日間、ツイッターでつぶやかれた「バレンタイン」「チョコ」を含むツイートの件数である。はっきりと出ている。2月14日に向けて急激に件数は上昇。明らかにみなソワソワしているのである。もちろん、ツイッターなので、この中には

  • この機会にフォロワー、RTを獲得するネタ投下
  • 純粋にドキドキしている
  • 過去の回想
など、その個々人の思いは千差万別である。この中から私の同じような意見をいくつか見てみたい。

そもそも私の主張としてはこうである。



    〇男の視点
  • チョコをもらえるかどうか、ソワソワする。(まぁ楽しいうちなのだが、考えすぎると毒)
  • この14日中、ならない携帯電話を確認する
  • そのために、やけに悲しくなる
  • 義理でももらえなかったときに、ありもしない男のプライドはくずれる
  • 男から渡して告白できないような、風潮がある
  • 〇女の視点
  • 女から渡したかったのにー!!と言われた。
  • 女はむしろ私が食べたい
  • 告白する相手もいない悲しさ
  • 〇事業主の視点
  • 現状では、一部の人の習慣だけで、それ以外の潜在顧客を囲いこめていない
  • 自分からチョコを買いたい男は購入をはばかられる。女は買いたいけど買う相手もないので店舗を素通り

と、基本な主張は「消費者の購買行動」を抑制している部分があるのが今のバレンタインだと私は思っている。バレンタインという2月14日、2月といえば、全体消費傾向が下がる月の一つだが、そこにおいても、ある種の無条件感でチョコを購入する時期に、買っていない人に対して購入するコンテキストを提供するともに、恋愛ステータスという概念にとらわれず、チョコを楽しむ日になれば、購入者、事業会社、チョコ販売店、、、などなど、三方どころか全員が幸せになることを願っている。

image.jpgツイッター民の主張 
ただ、ただチョコを食べたい人もいる。この時期が多少の影響もあるだろうが、この人はチョコを食べたいんだと思う。おそらく男性だが、食べたいんだと思う。思う存分食べたらいいのに、なにかこの時期に一人で店頭でチョコを買うことがはばかられる。私も経験があるがなんとの嫌な気分になる。 チョコが食べたい.png チョコをもらう、という概念をくつがえしている。もう自分で作って自分で食べる。これはもう、バレンタインへの挑戦でしかないと思う。 もうあきらめたやつ.png すでに一戦からは退いたが、思うにこうだ!とご自身の主張を展開。たしかに今年は明日2月14日は平日。学校や会社がある。だから、言い訳ができない。この言い訳、おそらく男子なら一度は耳にしたことがあるはず。もらえなくても平気!といいながら、次いで口にした。今日は休日だから。。 応援派.png 女子の意見もひろいたい。私がバレンタインというのをある種の習慣と認識してしまった世代だからか、そもそも疑問にも思わなかったが、なぜ女から男に渡すのだろうか。おそらく女性のほうが、チョコ好き多いと思う。そういった習慣に疑問の声もある。 私もほしい.png 日本は女性から.png 男から渡すのか、女から渡すのか。それも議論は一周まわって、新しい領域に。 好きな人に贈り物をする日.png これがなにか、この不毛なバレンタイン戦争に終止符をうてる気がする。要は、もう好きな人、大切な人にそっと贈り物をする日にするのはどうだろうか。といっても、ここまで定着した習慣。簡単には変わらない。日本人が1月1日に餅を食うように2月14日はチョコを期待しているような気もするからだ。
ただ、私が認識する現状のバレンタインという習慣の問題点と同様の意見は散見された。ここからこれを打破できる、もしくは改変できるような施策を検討したい。
これが実現した時には、

①男子はもらえない恐怖から解放されて、あげてもいいという風潮を享受できる。
②女はあげなくてはいけない、(実は食べれない)かつ、恋愛の要素を帯びた贈り物のなので、時として勘違いされるなどの恐怖から解放されて、でも普段からの感謝や愛情など表現の自由が得られる。
③事業主はバレンタインに嫌悪感がある層へアプローチができ、新たな商品戦略が求められるが、まだ見ぬ、ブルーオーシャンの開拓とより一層のチョコ文化の定着に貢献できる。

ただ、上記のような戦略はすでにいくつか散見される。いわゆる女同士の「友チョコ」である。もうチョコを食べることに向けて一直線である。女同士なので、そこまで遠慮や意識せずに渡しあえるのだろう。女⇒男のベクトル打破をしている。が、おそらくこの流れだけだと「好きな人、大切な人にチョコを渡すバレンタインデー」にはまだ慣れないだとう。稚拙で恥ずかしいが、実現可能性を全く無視して、自由に書いてみたい。そうすることで私が思う実現可能性の枠を読者のだれかが超えてくれることを願っているからだ。 恋愛のトーンを抑えて、義理・

本命という言葉からの脱却

ここがおそらく最初のハードルではないかと思う。つい先日ブラックサンダーチョコの広告展開がソーシャルを含めていろいろ展開された。1.jpg togetter【引用】確かに、潔い。というか、自社商品のブランディングにおいて、特徴を一方向に寄せて、そのポジション(義理チョコ)に寄せたのはすごいと思う。表とも裏とも出るからだ。ただ、バレンタイン用チョコという超レッドオーシャンで戦うよりかは、はるかにやりやすくなると思う。ただ、ここで議論したいのは、その恋愛のトーン(義理なのか本命なのか)さえもいったん、忘れて、キャンペーンやパッケージから恋愛色さえも消して、ただそこにあるチョコにするということ。と書くと、おいおい!それは、、と反論がありそうだが、日本にはお中元などのように、大切な人、世話になった人に感謝を届ける贈り物の文化がある。この要素と掛け合わせて、大切な人に贈る、現代版のファッション性を取り入れた「帯」で恋愛コンテキストから一度脱却した商品展開はどうだろうか。


街頭キャンペーンであなたの大切な人に渡してくださいチョコの展開

街頭キャンペーンで全国キャラバン。これは相当パワーのかかる展開だが、上記のようなテイストを取りいれたチョコレートをあなたの大切な人に渡してください、のメッセージと共に展開。(このメッセージとかコピーは再考の必要あり)このチョコがふとしたときに、男性社員から男性上司へ、カップル同士が渡しあう、子供からお母さんへ、お父さんからおばちゃんへ。どんなベクトルでもいいようなコンテキストを含めたパッケージ、コピー、プロダクト(対高血圧とか対肥満商品といったニュアンス)を展開。なんかそれって幸せな雰囲気で、今日一日をステキに過ごせたね!という感覚を与える。


ソーシャルメディアでの訴求活動、ソーシャル文化から始める次の文化形成フロー

上記のような展開をソーシャルメディアで展開。ここの情報受信者がそうでない人より情報の感度や高い傾向がある(という調査結果を見た気がする)ため、彼らに早くその概念を訴求。男性には、コペルニクス的転回として「もらえなくとも女性から嫌われていない」「チョコをあげる表現方法がある」という概念を提供。そこに反応できるトレンドセッターに向けて情報を与える。


と、いろいろ書いたが、、

いや、要は私はもっとカジュアルにチョコをもらったり、あげたりしてもいいんじゃないかなぁと思っているのです。ちょっと稚拙な考えを書きすぎたかなぁ