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「エルシャダイ現象とは何だったのか?」~ブーム及びファン考察に寄せて~②
本橋ゆうこの「エンガワで背泳ぎ?!」
「エルシャダイ現象とは何だったのか?」~ブーム及びファン考察に寄せて~②
イラストレーター。ITmediaで「くねくねハニィの最近どうよ?」「悲しき女子ヘルプデスク物語」等の連載挿絵を担当。異様に「目力」強い登場人物が特徴。漫画家を目指し日々精進、コミケにも時々出没。電子書籍出版しました! 「それでも 大丈夫だ、問題ない。」 なお最近、商業初の漫画連載が始まりました! 「オーバーハング!」
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エピローグ
2011年3月11日、M.9以上とも言われる東北地方太平洋沖地震(後に東日本大震災)が発生した。
東北の各県、特に岩手や宮城の太平洋側沿岸部では、記録に残っている限り史上最大級の大津波に襲われ、甚大な被害を受けた。幾つもの市町村が壊滅し、多くの尊い人命が失われた。そこに福島の原発事故が追い打ちを掛け、救助活動の初動を大きく妨げた。
さらに東北以外の地域でも、巨大地震の本震の余震や、プレート周辺に連鎖して起きた地震によって地割れや地滑り、液状化、コンビナート火災などが起き、大 都市東京の中心部でも停電によってJRが全て運休になったことで膨大な人数の帰宅困難者が発生。主要道路は渋滞し、大混乱に陥った。
マスメディアはじめ情報も錯綜した。地震の直後、東北の被災地からはほとんど被害の実態が伝えられず、交通網が寸断されたために救援もままならなかった。 首都圏のテレビには繰り返し、激しく炎上する湾岸地帯のガスタンクや運休したJR各線、崩れ落ちた壁や割れたガラスの映像が映っていた。
やがて、少しずつ被災地の映像が入ってくるようになって、初めて、東北以外の地域の人々は自分達の目に映らなかった間に、巨大な津波によって文字通り根こ そぎに破壊されてしまった、変わり果てた無残な港町の姿を見ることになった。
仙台平野では海岸線だけでなく、河を逆流した津波が、内陸側まではるか5キロも 侵入し、そこでも大きな被害を出した。上空のヘリから撮影した映像は、広大な平野を不気味なほどゆっくりと、舐めるように蹂躙して行く波の先端が、重油を含んだ瓦礫を巻き込んで燃えながら進んで行くという、この世のものとも思えない光景を映し出した。「燃える津波」という不可思議な現象は、気仙沼市では夜になって人工の灯りを 全て消失した港を赤々と、一晩中かけて焼き尽くした。一般の視聴者によって撮影され、現地から届けられた津波の映像はどれも絶句するしかないような凄まじ い光景だった。だが、その後原発で進行中の危機が報じられると、テレビの前の人々はさらに恐怖のどん底に突き落とされた...。
それらはまるで、映画などでしか見たことのない「地獄」か、「この世の終わり」の光景のようだった。
この時、不足するマスメディアの報道を補うように、ネットがもう一つの「情報のインフラ」となった。
ケータイは地震発生直後から不通になったが、ツイッター、フェースブック等はしっかりと生きていた。そこでは津波や余震の情報を、完全に通信の途絶した被 災地へ送ったり、逆に被災地からの被害の状況、救援要請などを伝えようとする「声」が活発に飛び交っていた。ある者は被災者情報交換のためのサイトをボランティアの突貫工事で立ち上げたり、また自分の専門知識の中から、被災地で活かせそうな内容を積極的にツイートする者、それらを公式RTによって広く拡散することで何がしかの手助けをし ようとする者もいた。無限に拡散してしまうツイッターの性質上、恐怖と混乱の中から出所不明のデマが起きたりもしたが、デマとわかれば消火しようとする動きも早かった。
しかし、特にツイッターのようなSNSは、自分の選択したフォロワーによって、そのタイムラインを構成する顔ぶれが全く違ってくる。落ちついて冷静に科学的 な分析を試み、パニックを阻止しようとするタイムラインもあれば、ひたすら恐慌に陥ってデマや誹謗中傷を拡散するタイムラインも存在する。同じようにネッ トを覗いていても、各人それぞれに見えている光景が全く違うのだ。そのことは、特に震災直後では、大きく見る人の精神状態と行動に影響を及ぼしたように思う。(安全圏で買い占めに走る等。)
ニコニコ動画やピクシブ等の二次創作作品を通してファンになり、ゲーム「エルシャダイ」の発売を心待ちにしていた人々にも、テレビのニュースなどを通じて 大震災は強烈なインパクトを与えた。年齢が若い人が多かったこともあり、たび重なる余震の恐怖や、デマ等の不安、津波の映像を見続けることによるPTSD などから、突然わけもなく泣き出すなどの不安定な精神状態に陥る者も少なくなかった。
ところで、「キャラBOT」というものがあるのをご存じだろうか。
ここ数年の急速なツイッター普及がもたらした同人文化の一つと言えるかもしれないが、ある物語の個性的なキャラクター同士の様々な関係性について、ファン同士が「萌え」妄想を語り、アイデアを出し合い、そのキャラの「いかにも言いそうなこと」「いかにも取りそうな行動」ばかりを集め、特定のスタイルを意識してプログラムし、あたかも本当にそのキャラクターが話して(ツイートして)いるかのように現実化するツールを「キャラBOT」(通称 ボット=ツイッターで自動的に発言するプログラム。)と呼ぶ。そのBOTキャラ自体に対する萌えを語る同人は、二次創作を越えて三次創作とも呼ばれ、キャラクターの人格を模したツイート(自動)内容、会話から構築されるキャラの振る舞いはタイムラインのフォロワーとの応答により相互補完にある。※萌え以外にも、懐かし漫画のキャラなど多くのBOTが存在する。
エルシャダイTL、―仮にこう呼ぼう―その中にも、エルシャダイの登場人物のイメージになぞらえたキャラBOTが数多く稼働していた。(ルシフェルに関するBOTだけでも軽く70種類以上はいると聞いたことがある。現在はもっと増えているかも知れない。)
それら模擬人格のアカウントには「親御」と呼ばれる「中の人」が存在し、その人達は自分もツイッター上では個人ユーザーとして、フォロワーらと親密に交流する一方で、別個にキャラBOT用のアカウントを管理していた。管理者であることを秘密にしている場合もあれば、普段から大っぴらにBOTアカウントの中に入ってキャラクターを装って愉快なイタズラをする人もいた。
震災後の混乱の最中、彼ら「キャラBOTの親御」は、自分達の多数のフォロワーを持つタイムラインを使って、被災地や、他の地域でも不安や孤独にかられている人々を手助けするのに有効だと判断したツイートを、積極的に、意識的に公式RT(リツイー ト=TLに拡散)することを誰ともなく始めた。時には、BOTの中に入って手動ツイートすることで、各自のキャラクター役、ルシフェルやイーノックになりきってフォロワーを力づけたり、辛そうな人を慰めたり、余震の時には皆を落ちつかせようと献身的に試みたりした。これはBOTを管理するスキルを持った年齢層が、相対的に高かった事情もあるだろう。
それらの「有志」とも呼べる人々のボランティア的な昼夜の行動をBOTツイートを通して目にすることで、多くのファンのエルシャダイTLには、不思議な連帯感と、思いやりの気持ちが共有されていった。
ディレクター竹安佐和記氏のブログに、ある一つのイラストが投稿されたのは、そんな時期だった。
ラフな鉛筆描きでありながら、これまでに見たこともないほど優しく穏やかなまなざしをした、薄紅い目の大天使ルシフェル...彼が読者のほうをまっすぐに見つめながら
「被災地のみなさん、ど うか負けないで下さい。必ず未来はそこにあります。『希望を捨てないでくれ!』(ふきだしの中、ルシフェルのセリフ)」
と、真摯に励ましてくれていたのだった。公式リツイート経由等でその存在を知り、イラストを見たファンの本当に多くの人達が、深い癒しと、勇気をもらった。その中には実際に東北に住んでいて、被災したという人も含まれていた。このブログとイラストはネットメディアにも取り上げられ、更に多くの人が目にすることになった。
と、ほどなくして更に驚くべきことが起きた。
ニコニコ動画に「紅い目のお兄さんから応援のメッセージ」と題して、あの竹安ブログのイラストに声を付けた動画(静止画)が投稿された。なんと、その声の主は他でもないゲーム中で大天使ルシフェルの役を演じている声優、竹内良太氏その人だったのだ。ネットのこちら側で、ファンは大げさでも何でもなく、思わず震えた。
エルシャダイのファンには比較的「大人(社会人のオタク女性)」が多かったからこそ、そうした二人の関係者の行為が、例え善意からのものであっても、どれほどリスクを孕んだものであるかを、きちんと理解出来た。親会社は外資系、しかもコンテンツの権利関係には特に厳しいと考えられているゲーム業界で...本人が「オリジナル」とはいえ、会社から離れて、一個人としてこんなことをしてしまうとは...。
それは、業界人としてあらゆるリスクを承知した上で、それでも尚、「いま苦しんでいる人達のために、何か自分の出来ることをしたい」という自分の純粋な気持ちに正直に従った結果、のように思われた。
そして、ファンも彼らのその行動を「全力で支持したい」という気持ちに動かされた。「この言葉は、私に向けられたものだ」と感じ、そう出来た人が現実にいる「奇跡」に感謝した。エルシャダイというひとつの作品を介して、そういう人々の「想い」が、ゲーム制作者とファン、ネットの向こう側と此方側で、確かに共有された瞬間だった。
ゲームの中で「世界を救う」ため過酷な旅を続けるイーノックと彼を見守るルシフェル、そしてリアルの竹安氏と竹内氏は、この時、ほとんど同じ場に位置していたと言って良い。大きな哀しみや不安、恐怖、喜びや安らぎ...その真ん中に「エルシャダイ」という作品があった。
震災の影響で、多くのゲームや映画などのエンターテインメント作品の制作や公開日程にやむを得ず変更が生じる中で、いち早くエルシャダイは当初の発売日を守る、と発表したこともファンを大いに安堵させ、かつ歓喜させた。テレビも新聞も被災地の惨状や政府の混乱ぶり、暗いニュースばかりが踊る中では、かろうじて同人仲間との、ツイッターのエルシャダイTLが数少ない「癒し」になっているという人は少なくなかった。心痛からTLを去ってしまう人もいたが、多くの人にとって同好の士との無邪気な語らいの場は、確実に、辛く苦しいリアルを乗り越えるための救いになっていたのだろう。
毎月の何やかやの記念日やクリスマス、年末年始、様々な行事の度に更新される「大天使ボイス」に一緒になってはしゃぎ、公式の新着動画に興奮し、絵や文章で萌えを吐き出しては笑い合い、そうやって、また朝になるとそれぞれに会社や学校や家庭の与えられたポジションに戻って行く。夜になるとTLで活力を補充し、「楽しかった。次の素敵なイベントのために、また明日も頑張ろう」と思う...。
もともと同人活動にはそういった働きがあったのだろうが、この時ほど顕著にその効用が現れたこともなかった。エルシャダイに萌えることが、生きる活力の源になっている人達が本当にいたのだ。
だからこそ、エルシャダイを余りにも自分の中で身近なものに感じ(ほとんど自分の一部と思えるまでに)、エルシャダイを介して仲間たちと共有する時間が大事で、どれだけ妄想しても創作しても尽きない程の魅力をその世界観に見出だしてしまっていたからこそ。あれ程迄に待ち望んでいた発売日を境にして、全てが一変してしまった人達がいたのだろう、と思う。
発売されたエルシャダイを実際にプレイして見て、主にストーリーの「語り足りなさ」に不満を表明する人々がネット上に現れた。
無名だったエルシャダイが一大ブームを巻き起こす際に発揮されたネットの伝播力が、今度は逆の方向で作品にとってはマイナスに作用した。ニコニコ動画にアップされたプレイ動画が次々と削除されたことへの反感も、それに拍車を掛けた。開発者の竹安氏の個人ブログにまで押しかけて堂々と「クソゲー」呼ばわりする者まで現れ、そこにはたどたどしい日本語で嘆きを表明する海外のユーザーまで含まれていた。海外版を待たずにわざわざ輸入したのだろうか...。
本当にゲームとしてのエルシャダイの出来がどうだったのか?は、各人が判断することなので、ここでは語らないことにする。面白かったと言う人もいれば、ガッカリしたと言う人もいる。賛否両論があることそれ自体は、別に異常なことではないだろう。事実、何かのビッグタイトルのシリーズ作品でもなく、全くの新規タイトルにしては売上面でも善戦した、という意見は業界関係者の中にある。(また、筆者自身は今でもこの稀有なアクションゲームの大ファンであることを強調して付け加えておく。)
しかし、ファンにとってはそういうビジネス的な方面は、恐らく「知ったことではない」話だったのだろう。失望したファン達の多くが「裏切られた」と感じたであろうことは想像できる。TGSで話題になり、ネットで爆発して以来半年間―、「祭」の日々はあまりにも楽し過ぎたのだ。
SNSの場に集まった大人数で、よってたかって空想し創り上げた「理想の作品」は、まるで最上級の長編小説と、超弩級の資金力を掛けたハリウッド超大作と、最高の絵柄で連載される傑作漫画、それらの全部を足したような、正しく「神作品」の名にふさわしい名作に、皆の妄想の中でなってしまっていた。...海外資本、新規のゲーム制作スタジオの、多くがまだ年も若い制作陣の初めての大作への挑戦だということは、実際にはほとんど知られていなかった。
結果として制作陣の表だった人々が、ネットの一部の心無い声からまるで「裏切り者」のように批判の対象となってしまったことは、とても哀しいことだと思う。
けれども当時、そうしてしまう心理を、筆者もほんの少しだけ「わかる」ような気もしてしまったのは、恐らく自分があの発売までの半年間、そして震災直後の真っ暗闇のような時期にそこだけ明るい光のように皆を包んで、笑わせ、感動させてくれた、イーノックやルシフェルやエルシャダイTLの皆との楽しかった日々を、今でも少しの痛みとともに覚えているから、なのかも知れない。
「エルシャダイ現象」とは、一体何だったのだろうか?
この問いに答えられる資格が自分にあるのかどうかは分からないが、一つだけ言えることがある。
仮に、指を鳴らして時間を巻き戻して「エルシャダイを知らなかった頃」に、戻してもらえるとしても。やっぱり私達は、同じようにまたエルシャダイと出会い、この魅力的な作品を好きになるのだろう。
イーノックのことを「なにこのゴリラ(笑)」と思い、ルシフェルの「こんなに美声で超美形なのにぼっち」な事実に衝撃を受け、ナンナの「へたくそ」にご褒美を感じ、堕天使とネフィリムの悲哀に涙し...そして、物語の彼らと全く同じように「理解できない神の怒り」に畏怖しつつ、呆然と立ち尽くすだろう。
そう。今でも、何も変わらない。
やっぱり、エルシャダイが大好きだ。
素晴らしく美しく、意欲的なゲームを世に送り出して下さった、全ての関係者の皆様へ。
本当に有り難うございました!
これからの皆様のますますのご発展、ご活躍に期待しています!
...あなた方の挑戦と勇気が、きっと、後に続く多くの若者の心に火をつけて、閉塞感に溢れたこの国を、やがては変革していくことを願って―。
(終)
追記:2011年春の発売以降、業界関係のレビューサイト情報によれば、今日に至るまで「エルシャダイ」は数字の上では現時点でも週に数百本程度ずつ、じわりじわりと売り上げを伸ばし続けている。加えて'11年9月以降発売が開始された海外版(北米/欧州)でも、数々のゲーム系レビューやツイート等を見る範囲では、とりわけ日本のサブカルチャーにもともと好意的な層、映像表現のクリエイティブな新奇性に敏感な層、さらには骨太の戦略性のある近接バトルを好むコアなアクションゲーマーにも称賛をもって受け入れられているようだ。
エルシャダイ」のディレクター竹安佐和記氏による壮大な「神話構想」の一環として、「エルシャダイ」本編のストーリーにも繋がる「GIDEON」「AMON」「エクソダス」等の作品(小説及び朗読CD、コミック)、ライトノベル「なんでお前が救世主?!」や、新たに「Heavenly7」プロジェクトなどが既に発表されており、ゲーム「エルシャダイ」から始まった独特の世界観は、息の長いファン達の熱心な応援に支えられながら、いまだに広がりを見せ続けている。
さらに今年に入ってからはゲーム開発時の設定資料や小説挿絵の原画展示会も都内で開催され、発売から一周年になる4月28日には、ゲーム「エルシャダイ」のディレクターであった竹安佐和記氏自身の執筆による「エルシャダイ原作小説」が満を持して刊行された。(イグニッション公式のプレスリリース発表)
何かと謎が多く、活発な議論の対象ともなってきた「エルシャダイ」のストーリー。竹安氏の「全ての答えがここにあります」という言葉の通りに、ファンの期待は叶えられるのか?人々は固唾を飲んで物語の行方を見守っている。
「それでも 大丈夫だ、問題ない。」
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