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新米広報の飽くなき挑戦(1):東京都内の新聞の裏面に出るテレビ番組に、1秒でもいいから自社を露出せよ!

新米広報の飽くなき挑戦(1):東京都内の新聞の裏面に出るテレビ番組に、1秒でもいいから自社を露出せよ!

広報女子部 部長

「広報女子部」発起人。美容室広報担当。中小企業の中での広報活動に限界を感じ、広報の集まりである「広報女子部」を設立。月1回の勉強会を通じて、他社の広報との情報交換をしている。

当ブログ「誰も書かなかった、広報女子部ログ」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/703mix/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


2012年1月は、わたしにとって、衝撃的な月になりました。
2011年6月から広報を始めて、ようやく半年とちょっと経った時でした。

「広報」としては、雑誌とかテレビとかに出る仕事なんだろうなぁ、と漠然と思っていたわたしは、何にも出ない日々に焦りを感じていました。名前ばっかりカッコイイ肩書きなのに、自分の仕事としての存在意義が見いだせませんでした。

何にも反応がないリリースを配信し続け、反応のない記者さんにメールやFAXを送り、電話をすると「あ。見ときます」という杓子定規のご回答。自動応答のような返答を毎回聞いて、こちらも自動応答のように「宜しくお願いいたします」と丁寧に電話を切る。

・・・が、絶対見てませんよね!??

・・・っていうか、見ませんよね!?

と、毎回思います。

相手も"大人"であり"仕事の相手"なので、やんわりです。
しかし、その言葉から、明らかに感じる前のめりでない拒絶モード、それが通常でした。

■どこか1社でいいからテレビに出よう!

2012年1月は社長と相談し、広報の目標としてテレビに出すことを掲げました。目標の条件は、『東京都発行の新聞の裏面に出ているテレビ局のテレビ番組。深夜・早朝帯でも構わない。1秒でも、番組に自社を出す。但し、1-3月の間のみ』ということでした。これをクリアしたら、ボーナス!というゲーム的な感覚でスタートしたのです。

わたしもこの1-3月の中で成果を出せなかったら、もう広報を辞めようとさえ思っていました。当時は、成果の出ないことを長々とやっていても仕方がない、という思いでいっぱいでした。

"アイデア"は突然降ってくる

2012年1月は例年に増して乾燥注意警報が連続しておりました。
わたしは、この現象に注目してリリースを書きました。リリースを思いついたのは、乾燥注意報が歴代第4位になったタイミング。あと一週間続けば、第3位に食い込みます。そして、週間天気予報を見たら、なんと1週間は雨が降らないカラカラ天気でした。

この日は木曜日。そして4位タイの日でした。自社で発表できる内容に気象状況を絡め、リリースを書きます。各部署に技術的な確認を取り、間違った情報を流さないように再三再四確認を取り、「よし。出しても大丈夫」と思えるような原稿になったのは、リリース配信会社さまのシステムを通して、その日のリリース配信ができるギリギリの時間でした。なんとか間に合い、リリースを配信し、一安心。しかし、リリースを配信したからメディアが来たことなど、今までに一度もなく、これは売り込みしないと!と思ったわけです。

さて、次の日は金曜日です。金曜日・・・となると、郵送をこの日にすれば、各メディアに情報が届くのは、次の週です。それは避けたいと思いました。なぜならば、賞味期限付きのリリースと思っており、乾燥注意報が歴代第3位に間に合うように取材を受け報道がされるだろうと想定したからです。

他に手段がなかった。消去法でテレビ局に直談判

さて、先に述べたようにテレビ局のみならずメディアさんは、多くの広報にとって、話を聞かずに電話を切られる場所。
もちろん、これは全てではなく、メディア様が登壇されるセミナーで、この話をすると、「うちは大丈夫ですよ。是非、お電話ください」と仰る。いろんな不確定要素があっての現象なので、何がどうであれば成功する・失敗するということは言えず、わたしもまだ検証の段階ではあるのですが、なかなか難しいのは事実です。

メディアに人脈がなかったわたしは、郵送でも間に合わないことを考え、直接持ち込みすることにしました。テレビ局の情報番組を隅々まで調べて、厳選し30数件ほどあったと思います。

■人脈なければ、受付すら入れない!!警備員に追い返されるという経験。

さて、この持ち込みするにあたって、テレビ局って直接リリース持ち込み受け取ってくれるの?という照会を思い当たるところにはかけているのですが、1件は雑誌ならいけるかも、という回答。そしてもう1件はテレビ局の広報さんだったのですが、会議づくしでお話ができる状態でありませんでした。

その方の会議の合間を縫ってなんとか話ができないかと思ったのですが、あまりのスケジュールにNG。しかし、時間は刻々と過ぎていく・・・ということで、他に選択肢がなく「いいや!行ってみよう!!」とテレビ局を回るルートを路線別に作った後、出かけるのでした。

結果、どうだったでしょう?essay-2.jpg

なんと、わたしはテレビ局はセキュリティが厳重で、アポがないと受付すら入れないことを、現地で知ることになるのです。

郵送で間に合わないから来たのに、警備員さんは「窓口で受け取ることもできない。郵送して」とのことでした。郵送したら、もう来週だよ・・・と思い、その選択肢はないので、何件かテレビ局を廻りました。どこでも同じでした。

重いリリース文書・・・テレビ局を回る度に減るはずだ・・・と思っていたのに、まったく減りません。何時まで経っても重い紙袋は、手のひらに食い込んで、その時の"重み"や、手のひらで紙ひもが"擦れる感じ"が手のひらだけでなく、心にも痛かったです。


ああ。やっぱり、ダメなんだ。

大きな会社で、もともとテレビの人と知り合いで、話ができるくらいじゃないと、話のスタートにも上がれないんだ。

ちいさい会社じゃ、ダメなんだ。



某テレビ局の表の公園で、放心している自分がいました。essay7-1.jpg

(まさに左の絵の状態です。きっと、行き来する人たちは、あの人なんだろう?と思ったことでしょう)

沈みかけようとしている太陽は、わたしのタイムリミットも表していました。



今日しかないのに・・・。

他に手段なんてなかったのに・・・。

もうダメだ。会社へ帰ろう。


そう思った時、本当に偶然に、まさに"今日"女神が舞い降りていたことを思いつくのです。

(次号につづく・・・。)