誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。

"東日本大震災"で見えた――メディアが常に『情報』をカバーするわけではないという事実

"東日本大震災"で見えた――メディアが常に『情報』をカバーするわけではないという事実

広報女子部 部長

「広報女子部」発起人。美容室広報担当。中小企業の中での広報活動に限界を感じ、広報の集まりである「広報女子部」を設立。月1回の勉強会を通じて、他社の広報との情報交換をしている。

当ブログ「誰も書かなかった、広報女子部ログ」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/703mix/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


前回の投稿で、『週刊ダイヤモンド 最新号 "経済ニュースを疑え!"』についての記事を書きました。で、情報について、もう一歩踏み込んで考えてみたいと思うわけなのですが...

唐突ですが、わたしは"情報"を、その額面通り取りません。

それは、東日本大震災後にあった、以下の出来事によるものです。

東日本大震災後、わたしは写真のダンボール74箱を被災地に送りました。このダンボールの中身は、わたしのものではありません。ある団体が倉庫にしまう予定であったものです。

jishin.jpg
わたしが被災地に送る手続きをしなければ、ずっと倉庫にしまわれていたか、もしくはある一定の期間で処分をされてしまうものでした。

なぜ、このようなことが起こったのでしょう?

■現場だからこそ、わかったこと

この時、わたしは被災地への物資仕分けのボランティアをしていました。あの時分、全国各地で同じような仕分けの仕事がなされていたはずです。

体育館のような大きな場所を借りて...100人くらいはいるかと思われる年齢も性別もばらばらの人々。その中で、多くの方々から寄せられた被災地支援物資について、ダンボールに仕分けする、という仕事をさせて頂きました。

数日間、ボランティアで通ったかと思います。

最終日まであと1日、そんな日でした。

耳を疑うような言葉を聞きました。

それは、一部のダンボールは被災地に行かないということです。

その一部のダンボールとは、『古タオル』と書かれたダンボール。では、なぜこれらのダンボールは被災地に行けないのでしょう。


■阪神・淡路大震災が残したもの


『古タオル』という分類がどのような分類かというと、恐らく皆さんの頭に浮かんでいるようなものではないと思います。

それらは、決して使い古されたものではありません。みなさんも経験があるのではないでしょうか?熨斗紙つきのタオルを頂いて、数年間使わずに収納の奥にしまっておいたことが。これらのタオルは、未使用品にも関わらず、収納具合によって、直径1mmほどのちいさな"シミ"がつきます。

この"シミ"が1点でもついたものを、『古タオル』として、他のタオルと区別して分類していたのです。

では、なぜこの『古タオル』がだめなのでしょうか?

それは、阪神・淡路大震災からの教訓だそうです。

阪神・淡路大震災が起こった後、日本各地から物資が届けられましたが、日本人なら着れないと思うような衣類やタオル類が届けられたそうです。「ないよりかはよいだろう」と思って届けられたとは思うのだけれど、クオリティの低いものも多く、被災地の方々の心を傷つけた、というのです。

そのため、古着・古タオルの取り扱いについては、要注意。送れないとのことでした。


■提供した人の心、仕分けした人の心は?

それ自体はわかる話なのですが、では、テレビを見て、自分も役に立ちたいと、家の中を探しかき集めて持ってきた方の気持ちはどうなるのでしょう?そして、それらを冷たい体育館で、「でもこれが被災地で皆の役に立つなら」と思い仕分けした人の気持はどうなるのでしょう?

阪神・淡路大震災からの教訓は、理解できます。

しかし...。

そうであるならば、送れないものがあることを物資を募る前にお伝えしておくべきです。

この場合、この団体が「送れません」もしくは「送れませんでした」と伝えることは可能です。しかし、それをしません。きっと伝えたら、提供した人は悲しい思いをするでしょうから。


■黙ってなんて見ていられない!でも、時間がない!

わたしには、この物資が欲しいかも...と思うアテがありました。そこで、ボランティアをしていた団体に聞きました。この物資を譲り受けることができるかどうか、と。答えは、YESでした。しかし、倉庫に入る関係から、すべての決定は明日までに、と言われました。

阪神・淡路大震災を経験していないわたしには、古タオルが送られることでの心の痛みはわかりません。そのため、物資が欲しいと思われる東北のボランティアネットワークの方へご連絡をしました。物資の状況を詳しくお伝えした上で、いるか、どうか、と。

そして、結果的には欲しい、ということであったので、団体から譲り受ける交渉をすることができました。


■しかし、"伝える力"とは

しかし、物資を譲り受けることは決まりました。しかし、それだけでなんとかなるものではありません。送付も大きな問題です。なぜならば、74箱を普通に郵送しようとすると、1個あたり1000円以上。単純計算しても7万円超えます。引越し業者の方が安いか?と思って聞いてみましたが、9万円というお見積りでした。

とても一人の力では無理なので、自分が所属していた団体のMLで募金を呼びかけました。

結果、1円も集まりませんでした-。

それどころか、やはり関西の人から、阪神・淡路大震災の時にどんな嫌な思いをしたか、というコメントを頂きました。阪神・淡路大震災の時に嫌な思いをされた、と言う話を聞いたから、すべて東北のボランティアネットワークに事細かに連絡した、と言っても、「送るべきではない」との主張でした。それ以外には、特に前向きで具体的なコメントは出て来ませんでした。

■四面楚歌でも、信じたことをやりきること。

MLでの反応については、わたしの中での結論は、「自分の人望のなさである」と思いました。なぜならば、他の活動については動いていたからです。励ますハガキを書こう!とか、ツルを折ろう!とか。お金を求める投稿であっただけにハードルは高かったかもしれません。

それにしても、人の気持ちは動かせなかった。

人は動く「流れ」や納得できる「段取り」があり、それ以外のものを感じ取ってくれる人は、稀です。

自分の力のなさを恨みながら、わたしはボランティアの最終日に、主催者に「輸送費がない。少しでもいいから寄付を募りたいが、呼びかけて良いか?」と聞きました。本当であれば、主催者的にはNGのはずです。なぜならば、主催側が集めた荷物を、すべて送る前提で集めているのに、自分たちが送らないものがあるなんておかしいじゃないですか!?わたしにしても苦渋の決断でした。だって、譲ってくれる団体の顔に泥を塗るようなことだと思ったからです。

主催者は、許可してくれました。

最終日の解散前、主催者からマイクを渡され、みなさんに事情を手短に説明し、カンパをお願いすると、ものの10分ほどで4万円ほど集まりました。小銭もありましたが、お札も多く、あんなに目の前にお札が飛ぶのを初めて見ました。「がんばれよ」、友だちでもなんでもない、まったく知らない人が、そんな言葉をかけてくれました。

宅配便さんは、所長にかけあったところ、ある宅配業者が特別な措置をしてくれて、ありえない金額で対応してくれました。そして、74箱を東北へ送ることが出来ました。その後、東北のボランティアの方は、古タオルは介護施設のおじいさんおばあさんのオムツになりました、と報告をくださいました。東北のおじいさんやおばあさんたちが、わたしが送ったタオルを使って、その人達の生活が0.1ミリでもよくなるなら、それを思い描いてうれしくなります。見たことも会ったこともない人達ですが、その人達のことを考えると、なんだかうれしくなるのです。

この経験が、今でもわたしに大きく影響しています。

■そして、『情報』の性質とは。


たぶん、わたしが知らないだけで、同じようなことは全国のいろんなところであったのではないかと思います。ここでお伝えしたいのは2点あります。1点目は、『情報』とは、いろんな事情があって、常に明らかにされるものではない、ということです。それ自体が「よい・わるい」ではなく、『情報』の性質がそういうものだということを理解しておくことが必要です。「自分はすべてを知っている」ではなく、「知らないことがあるかもしれない」という気持ちで『情報』に臨むのです。

2点目は、よいことをしていたとしても、必ずしもその情報が広まるわけではないということです。
よって、よく「正しいことをしていると、必ず誰かが助けてくれるよね」という定説が聞かれますが、それはかなり本人ががんばった後の話であって、事実はそうでもありません。"助けてもらう"環境を作るための働きかけが必要なのであって、そこはまた別のスキルが必要であるということを肝に命じる必要があります。

そして、この時は、まさか自分が広報職を経験することになろうとは夢にも思わなかったわけですが、広報という仕事に携わり、この仕事について知った時、【広報という手段】は、この"伝え下手"で困っている人たちに手を差し伸べられる、そのようなスキルだと思ったわけです。

■広報連絡会も女子会も、みんなで社会のためになることをやりたい

広報連絡会と女子会の説明資料の最後に、以下のスライドがあります。
まずは自社を高め、個々人がスキルを身につけることが主軸にはなるのですが、その行き着く先にあるのは、社会のためだと思うんです。メディアだって知らないことや何らかしらの障害があって知っているけれど発信ができないことはたくさん抱えています。だからこそ、企業広報も、メディアの方が持てない切り口で彼らのサポートになるくらいの発信をしてもよいのではないかと思っています。

kouhou.jpg

まだまだ大きなことはできませんが、志だけは高く、誰にも知られなくていいから、こっそり誰かの役に立つ、そんなことをさりげなくやっていけたらいいな、と思っております。