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「いまの夏」は「いつかの夏」になる。未来のために、"今日"できることは、やっぱり選挙。
»2013年7月21日
誰も書かなかった、広報女子部ログ
「いまの夏」は「いつかの夏」になる。未来のために、"今日"できることは、やっぱり選挙。
「広報女子部」発起人。美容室広報担当。中小企業の中での広報活動に限界を感じ、広報の集まりである「広報女子部」を設立。月1回の勉強会を通じて、他社の広報との情報交換をしている。
当ブログ「誰も書かなかった、広報女子部ログ」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/703mix/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
「選挙へ行こう」と言っても、行かない人たちが多くいることは知っています。
そして、「選挙へ行かない」理由としては、政治への関心がないから。また、投票したい有権者がいないから。
実際、わたしも投票する人を考えた時に、「このひとへ!」ではなく、消去法的に絞っていることにハッとします。治はわかりにくいし、候補者は魅力がないし...この国は、【選挙のデザイン】を変えたらよいのではないか、と思ってしまいます。
この話を『広報女子部ログ』でするのは、広報のみなさんは、自分たちや自社のことだけを考えていればよい、という立場にないからです。わたしは、広報初めて最初の6ヶ月で気が付きました。この仕事は、会社のことを考えると同時に、常に社会とそこに生きる人々のことを考えなければならないと思うからです。そういう意味で間接的にでもみんなで考えたいと思いました。
で、本題に戻りますが、何か実施することの方が、非難を浴びやすいこの国では、何かやることを避ける青年が増えている、と思っています。政治は会話のタブー。
しかし、「会話のタブー」なのは、TPO次第だと思います。常にではないのに、政治の話をすることは、多くの人々になって、どこでもなくなってしまったのではないでしょうか。
だから、今の時代に敢えて「タブーなのを知っていて話題に出す場」というのがあるといいな、と思いました。に「選挙へ行け!」ではなく、「一緒に考えよう」という前段階があると、少なくとも投票率をあげられるのではないか、と。
そんなことを思いながら、ばたばたしていたら、あっという間に投票日になってしまいました。ので、今のわたしは、結局「選挙へ行こう」ということしかできません。
本当は、北風と太陽みたいなもので、「選挙に行け!」ということでは、行かない人はいきません。選挙、わかりにくいよね?みんなで一緒に考えようか」という前段階をつくる、そんな場がある、そういった環境があるといいな、と思います。今後、もし機会があったら、"選挙"とか"政治"とか、"憲法"に至るまで、ゆるーく考える会が企画できたら、やりたいです。
【一票の重さ】。自分の決断できる一票で、わたしたちは自分たちの意思を示せることではありますが、あとでその政治家が間違っていた、と思ってしまったら、その決断について"責任"も追わなくてはなりません。周りと戦わずしてゆるゆるきた世代に、"責任"とは重いものです。
なので、"責任"がとれると思えるほどに考え抜くことが必要で、ここでもいつもの「ひとりでだめなら、みんなでやろう」と思うわけです。きちんと話の流れを誘導してくれるようなスキルのあるゲストが求められると思うので、一筋縄ではいきませんが、何かわたしにできることがあるなら、そういうことかな、と思います。
さて、いろんなことを考えている時に思い当たったひとつのアイデアをシェアします。
選挙はとても複雑なので、こういうことにはいきませんが、問題をシンプルに考えようとすると、20代・30代・40代・50代・60代・70代・80代(各男女別)の代表を立てたら、わかりやすいんじゃないかと思います。
各世代の考えそうなことを考えてみると・・・
20代の青年は、自分が60代になった時のことを考える。
40代の中堅は、自分の子どもが大きくなった時のことを考える。
60代の退職組は、あと20-30年安定して生活できるのかを考える。
70代以降は、、、死ぬまでよい余生を生きられるか、考える。
年齢別に考えると、政党や政策という隠れ蓑のウラに、個々人の考える意図があると思います。
実際のところ、そうはいかないとは思っていますよ。年齢別に優秀な人が確実にいるわけでもありませんし、年齢よりも大切なモノがあると、そういう話になるでしょう。
でも、物事は"捉え方"であり、"考え方"が大切だ、ということだけお伝えしたいと思いました。そのために、"自分にとって"わかりやすく考えるための『思考の工夫』が必要です。
広報業務している時に、このニュースの発信者のことや、その先の一般の視聴者や読者について考える、思考の100本ノックを日々続けているわたしたちは、表に出す必要ななくとも、個々人ごとに自分の胸の中で考えてもらいたいと思っています。