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8月6日に送る書評:『二十一世紀に生きる君たちへ』
»2013年8月 6日
誰も書かなかった、広報女子部ログ
8月6日に送る書評:『二十一世紀に生きる君たちへ』
「広報女子部」発起人。美容室広報担当。中小企業の中での広報活動に限界を感じ、広報の集まりである「広報女子部」を設立。月1回の勉強会を通じて、他社の広報との情報交換をしている。
当ブログ「誰も書かなかった、広報女子部ログ」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/703mix/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
昨日、都内の大型書店に行くと、原爆や戦争について考えるコーナーができていました。
8月になると、日本では毎年意識せざるを得ない...楽しい夏の思いでの傍らに、テレビのニュースで映る黙祷の風景。そう、原爆が落とされた6日(広島)と9日(長崎)。
遠くでニュースを見ているわたしたちでも胸が締め付けられるのだから、広島と長崎の現地の方はどのような思いで毎年過ごされているのだろうと、思ってしまいます。
今年は特に、憲法改正の議論もあり、社会が揺れています。
憲法をどうするか、という議論の前に、
社会をどうするのか、ということの前に、
ひとりひとりが「どう生きるのか」、改めて考えるきっかけになって頂ければと思い、司馬遼太郎さんの言葉を引用させて頂きます。
この『対訳 21世紀に生きる君たちへ
』という書籍は、司馬遼太郎さんが子どもたち向けに書かれた本で、非常に短い文章です。たくさんの歴史小説を書かれた、司馬遼太郎さん。現世に生きる人々だけでなく、過去の人物とも知己のように過ごされたと思います。その司馬遼太郎さんが、以下のようなとてもやさしい、力強い言葉を発せられていることに、とても感動しました。
広報を始めて、たくさんのテレビに会社を出すことができた時、わたしはほんとうに社会のために働かなければならないと思いました。お給料をくれるのは、会社だけれど、情報を発信する相手は、社会であるのだと。それは、3日間で12番組に取り上げてもらったという特殊体験があったからであって、皆さんにこれを伝えたいけれども、どのように伝えてよいかわからず、今、まだその機会を持つことができていません。
しかし、この活動によってわたしが言いたいことのひとつは「広報をやるからには、(本来は)見えない人を思いやる力が必要なのだ」、ということなのです。
司馬遼太郎さんの言葉は、強く、やさしい。
是非この時期にみなさまにもお読み頂きたいと思っています。
人の気持を慮る方法を解いた、以下の文脈を引用します。
自然物としての人間は、決して孤立して生きられるようにはつくられていない。このため、助けあう、ということが、人間にとって、大きな道徳になっている。助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることと言ってもいい。やさしさと言いかえてもいい。「いたわり」「他人の痛みを感じること」「やさしさ」みな似たような言葉である。この三つの言葉は、もともと一つの根から出ているのである。根といっても、本能ではない。だから、私たちは訓練をしてそれを身につけねばならないのである。
そして、司馬先生は、以下のように続けています。
その訓練とは、簡単なことである。例えば、友達がころぶ。ああ痛かったろうな、と感じる気持ちを、その都度自分中でつくりあげていきさえすればいい。他人の気持ちはわからないのが、人間です。自分のことで一生懸命で、相手のことに気づきにくい。しかし、相手のことを慮ることもできるのです。それは"性格"というよりも、長年の週間による"訓練"であると、いうことなのかと、わたしは受け止めています。
この段落の最後は以下のように締めくくられています。
この根っこの感情が、自己の中でしっかり根づいていけば、他民族へのいたわりという気持ちもわき出てくる。君たちさえ、そういう自己をつくっていけば、二十一世紀は人類が仲よしで暮らせる時代になるのにちがいない。
ひとりひとりの力は大変ちいさいです。
とても、社会を変えることはできません。
でも、ちいさな力を集めて集めておおきくできれば、変えられるかもしれません。
ひとりひとりが社会を変えられなくとも考える時を持ち、8月が平和を願う月に、なればと願っております。