誠ブログは2015年4月6日に「オルタナティブ・ブログ」になりました。
各ブロガーの新規エントリーは「オルタナティブ・ブログ」でご覧ください。
原子力論考(65)「自己統御感」は、自分で行動し考え決定することで得られる(コミュニティ・シリーズ9)
»2012年6月23日
開米のリアリスト思考室
原子力論考(65)「自己統御感」は、自分で行動し考え決定することで得られる(コミュニティ・シリーズ9)
社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。
当ブログ「開米のリアリスト思考室」は、2015年4月6日から新しいURL「http://blogs.itmedia.co.jp/kaimai_mizuhiro/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。
原子力論考のコミュニティ・シリーズその9です。
★ ★ ★
前回、原子力発電所の過酷事故は普通の人にはなじみがないため、「自己統御感の喪失」を起こしやすい。と書きました。
ここで、ある資料を紹介します。
エートス in 福島 による「忙しい人向け エートスまとめ」
始めて聞く方も多いと思いますが、「エートス in 福島」は、「放射性物質拡散後の福島でよりよく暮らしていく方策を模索しながら活動している団体」です。これはチェルノブイリ事故後のベラルーシで行われた同名の活動からの知見を活かして行われているもので、引用部分に書かれているように、
ことが特徴です。
いつもの得意技で図解してしまいますと、原発事故後に地域住民にはこんな心理的ストレスがかかります。
「原発事故で漏れた放射性物質」が地域に降り注いだことで、それが「①わけのわからない恐怖」になっています。理想は、それ(放射性物質)が消えて無くなること。そこで行政と東京電力に対して「②あなたがたの責任なのだからあなたがたがなんとかすべきだ。そして私たちに安全・安心を保証しろ」と言いたくなりますが、しかし問題は「安全・安心を保証しろ」と要求する先の当の相手である「行政・東電」に対して「③そもそも彼らは信用できない」という状態になっているため、②と③が矛盾してしまいます。
なかなかイメージしにくいと思いますが、↓こう書けばその不愉快さが伝わるでしょうか。
「犯人」という表現は穏当ではありませんが、「安全神話に騙された」という思いがあると「自分たちを騙していた」行政と東電を「犯人」という眼で見てしまうのも無理はないわけです。
なんにせよ、人間は「自分の力で制御できない対象」にはストレスを感じます。本当は、放射性物質なんぞというわけのわからんものは自力で叩き出したいわけですよ。何だお前ら、寄ってくんじゃねえ、あっちいけこの野郎!! と叩き出せれば「無力感」を味わうことはないのですが・・・
というわけで、「エートス」活動が目指しているのは「喪失」ではなく「回復」のストーリーです。
・・・・という感じ。「住民が主体となって、関係機関の支援のもとに、自分たちの生活を立て直す活動をする」というイメージの一端がこれで伝わるでしょうか?
「わからないから怖い」じゃなくて、「わからないから、わかるようにしよう」という姿勢が鍵です。
「わかるようにする」というのはたとえば
住民自身で地域の放射線量測定を行う。
すると、注意すべき場所がわかる
わかったら、行動の指針を作る
それを地域住民に周知させる
といったことです。もちろん「放射線量測定」の機材やノウハウを最初から持っているわけがありませんので、必要な機材は借り、知識は教えてもらいながら行うわけです。
こうやって「自分の手で状況を把握していく」と、だんだんと「自己統御感を回復」できていくんですね。
こういう活動はコミュニティをベースにして行われます。そしてそれは「つべこべ言わずに黙って従え」という、20世紀までのコミュニティの統制原理とは相反するものです。
「つべこべ言わずに黙って従え」方式の場合、「自分で考える住民」は邪魔なんです。
「リーダー」の言葉を信じて従うフォロワーがいればそれでいい。
でもそれでは結局、その「リーダー」が信用を失っているときにはうまくいきません。
だから、「自分たちで状況を把握し、自分たちで基準を決めて行動する」ことが必要になるわけです。そしてそのために、学者を使います。学者の教えてくれることを鵜呑みにして従うのではなく、学者の意見を参考にして自分たちで決めるということです。
私は「つべこべ言わずに黙って従え」を基本的な統制原理とする20世紀までのコミュニティはもう破綻していると考えています。これからは、「昨日と同じ明日が続くと期待できる、安定的な社会」はもう存在しません。
原発問題において典型的に現れていますが、「善意の活動家」というのは社会的に非常に大きな害悪をもたらします。である以上、今後は「コミュニティ」単位で「善意の活動家の嘘を見抜いて」いかなければいけない。
別に「一人一人が見抜ける」必要はないんです。ひとつのコミュニティの中に何人か、「目利き」がいればいい。違う得意分野を持った目利きがいて、情報がオープンに流れていれば、「善意の活動家の嘘」が一時的に流布してもそのうち修正されます。
実際、去年の4月ごろに私が関わっている複数のグループで小出裕章京都大学助教の本が話題になったとき、私は速攻で小出助教が科学的におかしな主張をする人物であることを知らせて、「善意の活動家の嘘」が広まることをある程度食い止めました。普段から、「自分で情報を集めて自分で考え、判断する」習慣を持っている人は、つじつまの合わない情報への感度が高くなるため、「善意の活動家の嘘」にはなかなか騙されません。一時的に信じてしまうことがあっても、いずれつじつまが合わないことに気がつきます。
必要なのは、そういう習慣なのです。「自分で情報を集めて自分で考え、判断する」習慣。その習慣があれば、当てになる情報源といかがわしい情報源が区別できるようになります。
その習慣を身につけた人間をどれだけ増やせるか。
今、日本が国全体として問われているのはそういう課題であり、私が原子力論考を書き続けている理由もそこにあります。
(続く)
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ
★ ★ ★
前回、原子力発電所の過酷事故は普通の人にはなじみがないため、「自己統御感の喪失」を起こしやすい。と書きました。
ここで、ある資料を紹介します。
エートス in 福島 による「忙しい人向け エートスまとめ」
p.2 より引用
ETHOS はベラルーシで行われたチェルノブイリ事故後の回復プログラムの名前です。
EC(ヨーロッパ共同体)各国の専門家チームにより、ベラルーシ政府とベラルーシの民間のベルラド研究所と協力して行われました。
住民が主体となって、検査体制と医療体制といった行政のバックアップを背景に、積極的に汚染地内での生活と環境を回復させていく試みです。
外部の専門家が上から命令するのではなく、住民が実計測によって不安を解消し、工夫をしながら生きていくプロセスを作り出すのを目標としています。
始めて聞く方も多いと思いますが、「エートス in 福島」は、「放射性物質拡散後の福島でよりよく暮らしていく方策を模索しながら活動している団体」です。これはチェルノブイリ事故後のベラルーシで行われた同名の活動からの知見を活かして行われているもので、引用部分に書かれているように、
「外部の専門家ではなく、住民が主体となって、
住民が実計測によって不安を解消し、
工夫をしながら生きていく」
ことが特徴です。
いつもの得意技で図解してしまいますと、原発事故後に地域住民にはこんな心理的ストレスがかかります。
「原発事故で漏れた放射性物質」が地域に降り注いだことで、それが「①わけのわからない恐怖」になっています。理想は、それ(放射性物質)が消えて無くなること。そこで行政と東京電力に対して「②あなたがたの責任なのだからあなたがたがなんとかすべきだ。そして私たちに安全・安心を保証しろ」と言いたくなりますが、しかし問題は「安全・安心を保証しろ」と要求する先の当の相手である「行政・東電」に対して「③そもそも彼らは信用できない」という状態になっているため、②と③が矛盾してしまいます。
なかなかイメージしにくいと思いますが、↓こう書けばその不愉快さが伝わるでしょうか。
【自己統御感の喪失のストーリー】
自分の生活を脅かすものがある
自分ではそれを取り除けない(無力感)
取り除くためには、その原因を作った犯人に頼らなければいけない(ジレンマ)
「犯人」という表現は穏当ではありませんが、「安全神話に騙された」という思いがあると「自分たちを騙していた」行政と東電を「犯人」という眼で見てしまうのも無理はないわけです。
なんにせよ、人間は「自分の力で制御できない対象」にはストレスを感じます。本当は、放射性物質なんぞというわけのわからんものは自力で叩き出したいわけですよ。何だお前ら、寄ってくんじゃねえ、あっちいけこの野郎!! と叩き出せれば「無力感」を味わうことはないのですが・・・
というわけで、「エートス」活動が目指しているのは「喪失」ではなく「回復」のストーリーです。
【自己統御感の回復のストーリー】
我々の生活を脅かすものがある
しかたがない、被害が起きないように工夫しよう
そのためには敵を知らなければならない
そして、適切な行動を取らなければならない
そのための知識が足りないなら、わかっているやつを使えばいい
行政にも東電にも腹は立つけど、使えるところは使おうじゃないか
よし、じゃあみんなで手分けして、やるぞ!
・・・・という感じ。「住民が主体となって、関係機関の支援のもとに、自分たちの生活を立て直す活動をする」というイメージの一端がこれで伝わるでしょうか?
「わからないから怖い」じゃなくて、「わからないから、わかるようにしよう」という姿勢が鍵です。
「わかるようにする」というのはたとえば
住民自身で地域の放射線量測定を行う。
すると、注意すべき場所がわかる
わかったら、行動の指針を作る
それを地域住民に周知させる
といったことです。もちろん「放射線量測定」の機材やノウハウを最初から持っているわけがありませんので、必要な機材は借り、知識は教えてもらいながら行うわけです。
こうやって「自分の手で状況を把握していく」と、だんだんと「自己統御感を回復」できていくんですね。
こういう活動はコミュニティをベースにして行われます。そしてそれは「つべこべ言わずに黙って従え」という、20世紀までのコミュニティの統制原理とは相反するものです。
「つべこべ言わずに黙って従え」方式の場合、「自分で考える住民」は邪魔なんです。
「リーダー」の言葉を信じて従うフォロワーがいればそれでいい。
でもそれでは結局、その「リーダー」が信用を失っているときにはうまくいきません。
だから、「自分たちで状況を把握し、自分たちで基準を決めて行動する」ことが必要になるわけです。そしてそのために、学者を使います。学者の教えてくれることを鵜呑みにして従うのではなく、学者の意見を参考にして自分たちで決めるということです。
私は「つべこべ言わずに黙って従え」を基本的な統制原理とする20世紀までのコミュニティはもう破綻していると考えています。これからは、「昨日と同じ明日が続くと期待できる、安定的な社会」はもう存在しません。
原発問題において典型的に現れていますが、「善意の活動家」というのは社会的に非常に大きな害悪をもたらします。である以上、今後は「コミュニティ」単位で「善意の活動家の嘘を見抜いて」いかなければいけない。
別に「一人一人が見抜ける」必要はないんです。ひとつのコミュニティの中に何人か、「目利き」がいればいい。違う得意分野を持った目利きがいて、情報がオープンに流れていれば、「善意の活動家の嘘」が一時的に流布してもそのうち修正されます。
実際、去年の4月ごろに私が関わっている複数のグループで小出裕章京都大学助教の本が話題になったとき、私は速攻で小出助教が科学的におかしな主張をする人物であることを知らせて、「善意の活動家の嘘」が広まることをある程度食い止めました。普段から、「自分で情報を集めて自分で考え、判断する」習慣を持っている人は、つじつまの合わない情報への感度が高くなるため、「善意の活動家の嘘」にはなかなか騙されません。一時的に信じてしまうことがあっても、いずれつじつまが合わないことに気がつきます。
必要なのは、そういう習慣なのです。「自分で情報を集めて自分で考え、判断する」習慣。その習慣があれば、当てになる情報源といかがわしい情報源が区別できるようになります。
その習慣を身につけた人間をどれだけ増やせるか。
今、日本が国全体として問われているのはそういう課題であり、私が原子力論考を書き続けている理由もそこにあります。
(続く)
■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
→原子力論考 一覧ページ