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真反対の意見を出して、論点の可能性を広く洗い出し、相手と自分の真意を確認する。

真反対の意見を出して、論点の可能性を広く洗い出し、相手と自分の真意を確認する。

永松 和洋

ポスドク&非常勤講師生活を経て、私立大学の教育・研究職に従事する一方でポスドク時代に不動産投資を開始。職場の行き帰りの生活だけでは極めて危ういことを知るに至り、現在は会社・社会・国に過度に依存しない生き方を少しずつ実践中。

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1つ前のブログで税制について書いてみましたが、私自身は全くの素人なので、書くこと自体全く無謀なことでした。ただ、承知の上です。

素人というのは、言ってみれば、その分野について
  全く知らない、常識がないということではあるのですが、

裏を返すと、
  先入観がない、柔軟な考えを持つことができる

ということでもあります。

何か新しいことをしようとしたり、新しい意見を言ったりする時、それまで持っている知識が邪魔になって、できない理由に縛られ行動の妨げになることも少なくありません。

科学の分野でいえば、その分野について知らない方から柔軟な意見をもらえることも実際にあります。

逆に何か結論めいたことを言おうと思えば、その意見に反対する人から論駁を受けることになります。

科学の世界で、1つの科学的根拠が成立するまでには、数多くの論駁をくぐりぬけて初めて1つの根拠を持った情報として成立します。理論であれば、実験による裏付け、実験ならば、他の実験による裏付けが欠かせません。2008年にノーベル物理学賞を取った小林・益川 両先生の論文は1973年に発表されたものですが、ノーベル賞になるまでに35年もの歳月が過ぎています。分野によってはそれくらい根拠のある情報を作り出すことは難しいことです。

前回書かせていただいた、税制についてもそうですし、少し前の「尖閣諸島」の問題もそうです。

あるところで、「どうして、あの映像から、中国船が日本船に衝突してきたということが言えるのか?」という意見を出したところ、案の定、色々な方から「何をいっているんだ」的な意見を多くいただきました。勿論、私の意見も、心の中では「中国船がぶつかってきた」です。

ですが、ありとあらゆる角度から見て(検証して)、それでも、中国船がぶつかってきたという結論を出せなければ、中国船がぶつかってきたと結論付けることはできないという考えです。中国側の意見を全否定することはできません(ただ、相手があまり論理的に考えてくれない場合は違うアプローチも必要でしょう)。

この場合は、中国船から日本船が遠ざかるような進路を取らない限り、いくらでも、中国側から見れば、日本船がぶつかってきたという意見を並べられてしまうでしょう。ただ、そんなことでは、日本の安全は守られないという論調になることも承知していますが、その点はここでは考えておりません。純粋に、どちらがぶつかったかという観点のみです。

そういう真反対の意見に対して、しっかりとした論調で定量的に論駁ができなければ、それは単なる意見でしかなく、論理としてはまだぜい弱であると言わざるをえません。更に、論駁する側も根拠がしっかりしていなければ、論駁になりません。

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 反対                賛成

例えば、内閣を支持するかしないか というのも、一体何をもって支持するというのかは、個々人で差があります。10個の政策があったとして、10個全てに賛成でなければ、支持とは思わないという人もいるでしょうし、10個のうち5個くらい賛成ならそれで支持というには十分と考える人もいると思います。

そんな根拠のあいまいなまま、答えられた意見の数字を集めて、支持が多いとか少ないなどといっても、何の意味もありません。更に統計性の問題はよく書いているのでもう書きませんが、そんな根拠を元に、国民の大半が不支持ですよ と言ったところで、政府の政策に対する論駁(批判)にはなりません。

経済の問題でも、多くの数字が出ていると思いますが、例えば、各国のGDPの数字は本当に正しいのか?成長率の数字って誰か確認をしているのか?

物事の判断には、情報の根拠を1つ1つ確かめることが肝要です。そのために、わざと反対意見をだして、相手に確認をするというのは有効な作業だと思います。そうすることで自分の意見の整理・確認にもなります。もちろん、真面目に論駁しようと思えば、しっかりとした準備が必要ですが、反対する側は単純な意見、批判であっても許される場合が多いです。
もし、確認の作業が十分にできなかったり、根拠があいまいな場合には、try & errorで検証を繰り返すしかないのです。逆に、十分なtry & error ができないのであれば、仮説の域を越えることはできず、結論めいたことは永遠に言えないということでもあります。

税金については、現行の税制が複雑だと思えば、もっとも単純なモデルを出発点として考え始めてみる。最大の極論として、税金なんていらないんじゃないか? という議論もありだと思います。なら、政府のいらないんじゃないか? 政府がなくなったら、何が困るのか? という具合です。

ということで、批判されるということは大変ありがたいことです。この批判という点については、ネットの匿名性が有効だと思います。その批判も内容を見て、論ずるに値するかどうかは自分で判断すればいいわけですから。

あとは、実際に知り合いの人になってしまうと、とたんに批判ができなくなってしまうということもあります。政治家はけしからん! と言っている人でも、 本人を前にしたら、中々言いにくいですよね(笑)。

ここで、ああ、この方は匿名性の支持者なんだな と思ってしまったら、それはぜい弱な根拠に基づく判断ということになってしまいます。全て網羅して書くことはできないので、ツッコミは必ず入るでしょう。なので、以前に書いたブログのように質問(ツッコミ)がないとしたら、全然興味がないという悲しい結末が待っているわけです(ちょっと脱線)。

情報の根拠という意味では、一事が万事 という考えは非常に危険だと思います。