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このメディアに『美学』はないのか!――安藤美姫選手の出産は、社会に"支持"されるものなのか?

このメディアに『美学』はないのか!――安藤美姫選手の出産は、社会に"支持"されるものなのか?

広報女子部 部長

「広報女子部」発起人。美容室広報担当。中小企業の中での広報活動に限界を感じ、広報の集まりである「広報女子部」を設立。月1回の勉強会を通じて、他社の広報との情報交換をしている。

当ブログ「誰も書かなかった、広報女子部ログ」は、2015年4月6日から新しいURL「​http://blogs.itmedia.co.jp/703mix/」 に移動しました。引き続きご愛読ください。


会社について知ろうとする時に、広報を見ると、わかることがあるように、雑誌を判断する際に編集長を見ると、「ああ、なるほど」と思うことがあります。

「ああ、なるほど」の後は、「だからあんなに支持される特集を毎号出せるのだ」だったり、「だからあんなに素晴らしいのだ」だったりするわけですが、今回はこのメディアの編集長は?スタンスは?美学は?と疑問視をせざるを得ないニュースが上がって来ました。

【緊急アンケート!安藤美姫選手の出産を支持しますか? | お知らせ - 週刊文春WEB】


■公の人であるとはいえ、一個人の人生に大衆が何を言えるのか

ココで多くの人が、「オリンピックのために産むべきではない」と主張したとして、その発言は本人の人生や生活にどのように寄与するものなのでしょうか。

どのような主張が上がってきたとしても、安藤美姫選手にも赤ちゃんにも、生活に"変わり"は与えないはずです。だって、覚悟して産んだでしょうから。

今の時代、長い歴史があるからといってその上にあぐらを書いていられる時代ではありません。新しいもの、時代に応じた正しい主張をするメディアこそが支持され、生き残っていく時代だと思います。

■"人間のきもち"がわからない、(一部の)メディア

客観的に、この記事の主人公がオリンピックを目指している人かどうかを置いておいて、出産について考えてみます。きっと、赤ちゃんとお母さんはこのように思うはず。。

娘:せっかく生まれてきたのに...
母:わたしの人生なのに...

この企画をされた雑誌社は娘さんが大きくなって、この記事を見た時に、どのように思うと考えるでしょうか?20歳くらいになって、自分も子どもを持てる年齢になった時、この話を聞いたら、どう感じるでしょうか。

自分の母親が、母の人生の可能性と自分自身を産むかという決断の間で、相当悩んだ挙句に下した決断に、辛い言葉を浴びせようとするメディア。そのメディアを当事者として、とても悲しみ、憎ささえ感じるでしょう。安藤選手と赤ちゃんを直接知らなくても、それくらいは同じ"人間"として想像がつきます。みなさまも、そう、思いませんか?

「相手の気持ちになって考える」、そのことが一番不足している時代なのではないでしょうか。

もっとも、すべてのメディアがこうだとは思いませんが、先日の記事で書いたVERYのTwitter事件も同様だと思い、これらのことは氷山の一角でたくさんいるのかもしれません。

VERYのtwitterの中では、
自分の胸でミルクが生産されるという、珍・仰天・怪奇現象に平然としている女性というもの...

と書かれています。

ちょっと、待って!!

同じ"人間"なら、「今までにない変化が自分の体の中に起こってきて、大変だよね?びっくりするよね?」って思えませんか?

わたしも子どもを産んだことはありませんが、自分の中にもう1人の"存在"ができることは、ある意味アイデンティティの崩壊にもなりかねないことで、動揺する妊婦さんだっていっぱいいるんじゃないかと思います。。。

それは、『男女差』ではない。相手の気持ちをわかろうとしているか、していないか、だと思います。(※VERY については、わかるわからないの問題だけでなく、茶化しているので問題外ですが)

■そもそも出産は、"支持"されるものなのか?

固定概念を押し付け、皆が期待することから外れる人間を糾弾し、いじめ、うっぷんを晴らす。

そのような人間が多い国に、よい未来はありません。

今回の安藤美姫選手の出産ニュースには、確かに驚きました。

でも、個人が個人の生活のために決断したことを、外から意見するのはいかがなものでしょうか?政党ではないのだから"支持"と言う言葉はおかしいのではないでしょうか。それとも、本当に"支持"できるものだと、企画者は考えているのでしょうか。

安藤美姫選手は、出産し、復帰し、自分が次を目指せる!と思ったからこそ、出産を公表したはずです。

また、もしかするとこの雑誌社さまは、世の中から『糾弾』されることも覚悟の上で記事を投稿されている可能性があります。最近流行っているバズマーケティングにもその片鱗は見受けられます。

バズ・マーケティングがあまりにも流行るので、先日参加した某"バズ・マーケティングセミナー"。期待に胸ふくらませ、最前列に座ってしまったのが運のツキ。吐き気しかしませんでした。それは、バズを続ける巨大な影響力を持ったブロガーさんたちがあまりに人間をコントロールしすぎだからです。

具体的には、リツイートされるように、わざと「意地悪な人が、何かいいたくなる」ようなフレーズを入れる。相手が「こんなことを言ってくるだろうな」と想定した言葉を入れる。-リツイートした人は、マイナスなことを書いてくるわけですが、それも計算のうち、というわけです。でも、それはあまりにも人間の良心をなめきっているように感じました。

わたしの考え方では、"メディアは、社会の人々の心と生活を楽しくし、毎日をよりよいものにするためにこそ、存在すべき"です。"負"の側面から、人間のコメントを引き出すよりも、もっとポジティブな面からみんなでやっていこうよ!というムーブメントも作れるはずなのに。。。

大きな影響力を持つ、ブロガーさんについても、そのように考えます。

『スパイダーマン』にあるように
大いなる力は、大いなる責任を伴う
のです。

■賢い広報は、情報の公表を控える時と出す時、出るメディアをコントロールする

これは当たり前と言えば、当たり前なのですが、会社外で個人だとできるスキルを持っている人はあまりにいらっしゃらないと思います。

今回のことで、この雑誌社とは逆に、出産して復帰するまでメディアに報道されないようにした安藤選手の立ち振舞は賢かったのだと再認識せざるを得ません。

「出産した」と公表した時の、メディアの反応や社会の反応で起こるであろうことを読みきって、自分で情報の出し時を決めたのですから。

先日、ベストセラー本、「フリー」「シェア」などの監修をされた小林弘人さんのセミナーに参加してきたのですが、小林さんが、「今までPublic=Openのように思われてきた。しかし、本当は"何をOpenにするか、何をOpenにしないか"、その境も決めれるのだ」というようなことを言っていました。

これからの時代は、会社・個人、どのような立場であろうとも、賢く立ち回り、どこからOpenにするかというプライバシーをコントロールする必要があると強く思いました。

また、小林さんは以下のようにも仰っていました。「情報はOpenにするとリスクが出るが、助けてくれる人も現れ、可能性も広げてくれるのだ」と。但し、どこからどこまでをOpenにし、Closeにするかは、各々がOpenまたはCloseにした場合の未来予測をし、決断していく必要があるのです。

その他に広報が気をつけるべきことは、「どのメディアに出るか、出ないか」という決断でしょう。メディアさんの姿勢は読者に伝わりますので、そのメディアが正しく社会に臨んでいるのかどうかも常に意識をしておくべきだと思います。そして、場合によっては取材対応が来た場合でもお断りする決断をすることも必要です。

広報連絡会では、これからも時代の先を掴み、皆で共に『情報』のあり方を考えていく活動を続けて行きたいと思います。