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原子力論考(17)無限・無期型ストレスとの付き合い方(後編)

原子力論考(17)無限・無期型ストレスとの付き合い方(後編)

開米 瑞浩

社会人の文書化能力の向上をテーマとして企業研修を行っています。複雑な情報からカギとなる構造を見抜いてわかりやすく表現するプロフェッショナル。

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こんにちは。判断を他人に依存せずに、自分で考える習慣は大事ですね、と前置きを語ってみる開米瑞浩です。
・・・・となぜ珍しくこんな前置きから始めるかは、最後まで読んでいただけばわかっていただけることでしょう。
というのも今回はむちゃくちゃ長いのです。いや、申し訳ないです。(もう、大変(^^ゞ(^^ゞ)


 さて、原子力論考(15)と(16)は、掛札論文を手がかりに「無限・無期型ストレスとの付き合い方」について個人的覚え書きも兼ねて書いてきました。
 前回は「ストレスを否認せず、ああストレスあるなあ、つらいなあ、身体の調子も悪いし・・・」と認めてしまうこと、受容することが大事だという話でしたが、ひとつ、具体的に可能な方法で後回しにしたものがありました。それが

 「ストレス源泉に関する情報と自分の認知のコントロール」

 です。

■ストレスのほうが大きいときは、見ないようにしてもいい

 これはどんな話かというと、ひとつは、ストレスとなる情報が自分に入ってこないようにすることです。

たとえば、「緊急地震速報の音が怖い」のであれば、思いきって速報を切る、または受信する震度のレベルを上げるのもひとつの方法です(私は後者をしました)(同論文20ページ)
 「地震」は、安全を脅かすものであるという意味で「脅威」ですが、「身体・財産へのダメージをもたらす」のは必ずしも実在する「脅威」そのものだけではありません。実は、「脅威」に関する情報を得ることにより感じる「ストレス」もまた、身体に大きなダメージを与えます。
 実際私も東日本大震災以後、緊急地震速報を入れるようにしたので何度も警報音を聞きました。まあ、私の場合は警報がきても大したストレスとは感じずに済んでますが、小さな警報が一度来ただけで何時間も不安でたまらないような人だったら、警報のために不眠症になったことでしょう。
 そういう場合は思い切って「情報を遮断してしまう」のが1つの手、というわけです。脅威の本体(実際にやってくる地震)ではなく、情報(地震が来るかもしれないという情報)のために身体を壊してしまったら本末転倒ということですね。



 そしてもうひとつの手は、「何をストレスと感じているのかという自分自身の認知傾向を書き留めてみることだと言います。

不安を受け入れても、まだ不安感が強く、とりとめもない考えが頭の中をかけめぐってしまう時に効果があるのは、自分が感じている不安や恐怖を日記のような形で書きとめることです。これだけでも、ストレスの自覚症状は減ることが実験から明らかになっています。(同論文20ページ)

 そういえば私の知人で、大胆な新規事業を始めようかどうしようか悩んでいた人も、「失敗したらどうしよう・・・」と、アタマの中で悪い想像をしている間は心配で夜も眠れずなかなか「よし、やる!」と決断できなかったのに、それを全部書き出してみたら急に「なんだ、失敗してもこの程度か。大したことねーな(笑)」と思えてしまい、事業を始めて大成功した人物がいます。
 頭の中だけで考えずに、文字や絵に書き出してみること。これが大事なようですね。

 ただし・・・・もし「脅威」そのものが本当は実在しないものだったら、どうでしょうか? 実在しないのであれば「情報を遮断」したり「自分の認知構造を客観視」すること自体が不要です。

■幽霊の正体見たり枯れ尾花

 ここから先は掛札論文とは別に開米が個人的にこれまで考えてきたことをベースに書きます。

 「地震」は脅威として実在しますが、それは日本の話であって、たとえばオーストラリアではほとんど地震は起きません。
 地震の起きない国に行ってまで地震の心配をする必要は本来無いはずですが、もしそれでも「地震が怖い」のであれば、「情報の遮断」をするよりも、「オーストラリアでは大地震は起きない」という「正しい情報」を得るほうが先決でしょう。

 きちんとした根拠のある情報を得て、それを信頼することができれば、「実在しない脅威」はそもそも怖がる必要がなくなります。

 「地震」の脅威は実在しますが、「放射能の脅威」というのは実在しないものが多いので、「放射能の脅威ストレス」については少なくとも長期の方向性としては

    正しい知識を得て、過剰に怖がらずに済むようにする

 必要があります。「長期の方向性としては」です。



 そもそも世の中にはさまざまな「リスク源泉」があります。地震や津波や放射能以外にも、タバコの煙も光化学スモッグも車の排気ガスもリスク源泉です。
 そしてそれらの「リスク源泉」から、社会的な「リスクイメージ」が作られます。「リスクイメージ」は社会的なものであり、報道の影響が大きいため、リスク源泉の実態とリスクイメージとは一致しないのが普通です。
 そしてその社会的なリスクイメージを個人が認知することで「ストレス」になります。ここは個人の事情や感じ方の違いがあるため、ほとんど同じ環境のAさんとBさんで受けるストレスがまったく違うこともあります。
 最後にそのストレスが心身に影響を与えることで「健康被害」が起きます。この「健康被害」は「ストレス」経由のものだけで、たとえばタバコの煙という物理的な有毒物質そのものによる被害のことではありません。

 問題は、この「リスク源泉」から「健康被害」への流れは極力減るようにマネジメントしなければならないのに、逆に拡大悪化させるような展開をしてしまう場合がよくあるということです。

 左側の緑色の列が「本来あるべき展開」で、「科学的知見によってリスクイメージを適正評価し、メタ認知でストレスをコントロールし、正統なヘルスケアで健康被害を防ぐ」べきところ、実際には右側の紫色の列のように「扇情的報道でリスクイメージを過大評価し、他者への依存傾向がストレスを増大させ、偽医療(放射能に効く食品、とか)で健康被害を悪化させる」という「間違った展開」をしてしまっているケースが少なくないんですね。

 これはどうしたらよいのでしょうか?
 正直言ってお手軽な解決策はない、深刻な問題です。だから、深刻な問題である、ということは認識してじっくり腰を据えて取り組んでいかなければならないのでしょう。

 鍵になるのは真ん中の「リスクイメージをストレスとして認知する」過程における「メタ認知」対「依存傾向」の対立であろう、と個人的には考えています。
 「依存傾向」というのは、

    判断を他者に依存する傾向

 のことで、要は「自分でものを考えない人」です。
 読者のみなさんの身の回りに、「正解教えて君」はいませんか? 何かというと「こうすればうまくいく」という「やり方」を教えてもらいたがるのに、「なぜそうなるのか」という原理、しくみには興味を示さない。そんな「正解教えて君」は要するに、「正解だという判断を他人に依存している」依存傾向の人である確率が高いです。そしてこういう傾向のある人は扇情的報道にも偽医療にも引っかかりやすいので、根本的にはこの「依存傾向」を減らすように、「自分で考える」ことを習慣づけるように、学校教育から変えていかなければならない話です。ちなみに「学校」というのは小学校からです。

 判断を他人に依存している人に対して「京大のKやジャーナリストのHは放射能に関してあまりにも過大なリスクイメージを振りまいている。実際には放射能の脅威はほとんどないんだから心配するな」・・・・なんていくら言っても、まあ、効きません。一時的には「えっそうなの? なーんだ、心配して損した!」と返事が来るかもしれませんが、結局その時その時の話を聞く相手に同調したり引きずられているだけなので、次に別なことを言う人が現れたらまたフラフラとそっちに行ってしまいます。いたちごっこになるだけなので、大元の「判断を他人に依存する傾向」をなんとかしなければいけないのです。

 私がやっている企業研修も根本的にはそこにねらいがあります。情報の「読解力図解力」は、「自分自身で考えられる」ようにするための基礎体力トレーニングなわけです。

 現在、原発事故と放射性物質漏れにともなって明らかになったのは、日本人に多いと思われるこうした「判断を他人に依存する傾向」がもたらす弊害が、あまりにも大きくなっているという、そうした現実なのです。

■開米の原子力論考一覧ページを用意しました。
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